Home CELEBRITY Girls ♫煉瓦荘 太田裕美GGirls♫煉瓦荘 太田裕美February 28, 201434 comments Tags:太田裕美 34 comments売れない詩人とデザイナーの卵・・・。心にジンとくる名曲だと思います。35年位前高校生の頃によく聞いていた。それから15年後なぜか吉祥寺で歌詞にあるような暮らしをしていました。思い出すたび胸が苦しくなるような切ない男の気持ちの伝わる一曲です。以前Hiromi282さんがとても素晴らしい映像をアップロードされていましたが削除されてしまい本当に残念!!早くダウンロードしとけばよかった。。。今でもよく聴く曲のひとつです。本当に当時よく聞きました・・・。35年も経つんですか…私も太田裕美が好きで好きでよく聴いてました…懐かしいですね、アルバム全部持ってますLPレコードですけど。懐しいです。ほんっとに良いなあ~。一生聴き続ける曲です。高校生の頃から聞いています。松本隆さんが詩人で、デザイナーの女性が見えてきます。アートが日常にあり、広告や音楽が頭上を漂っている都市感がいいです。歌詞の流れで、懐かしく戻って知る響きがさらに深いと思います。歌はあまりうまくないかもしれない・・・・が雰囲気が良く好きな歌い手さんです!~松本隆さんのTwitterより~昨日の午後は、茂と細野さんに会った。夜は京平さんと太田裕美のライブに行った。「煉瓦荘」という曲で、どんな歌詞だっけ?と聞き耳たててたら、目から透明な水が流れた。それを読んでこの曲を聞いたらやはり目から透明な水が・・・・私の青春の名曲です。q(^-^q)太田裕美をフォークシンガーとするならこの楽曲が代表曲になるんだろうな(*´ω`)こんなアパートに住みたかった。毎晩毎晩、売れない詩人にデザイナーの卵と安酒飲み明かしたかった('A`)この歌って、とても素晴らしいのだけれど、規則性が無くて形式が無い歌なので最初から最後まで違うメロディーで出来ている。覚えて歌うのが難しいんじゃあないのかな。それに、詞のリズムとメロディーの関係で、本来伸ばしてもいいところで急にメロディーが変わったりしている。それを表現力豊かに叙情的に、当たり前の様に歌う裕美さんって、今更ながら凄い歌い手さんだと思う。こう言う機転の利く柔軟な歌唱力を持った歌い手さんに曲や詞を提供するのなら、作詞家や作曲家は規制が少なくて作品を提供しやすいんじゃあないかな。それでなくても、作詞家と作曲家は天才的な人達なのだから、3人が組めばヒットして当たり前だったのだろう・・・今更ながら思います。煉瓦荘、ホントにあるなら入居したかった。ホンダのモンキーを足代わりにね。私の青春です!「屋根までのぼれば副都心が見えた」・・。当時地方在住でしたが、新宿に高層ビルが建ち始めてそれはテレビでも紹介されていました。この歌で吉祥寺と新宿の距離関係を知り、その時に想像した風景は上京後実見した時と同じでした。松本隆さんの詞が先みたいですが、この詞に神ががった曲をつけた 筒美京平先生は凄すぎますエレガンスどのアルバムも好きだが、このアルバムは独特の雰囲気があって良かった。 当時 15歳。42年前、進学した大学は全寮制で、学生寮は赤煉瓦作りでした。北関東で副都心は見えませんでしたが、晴れた日は富士山が見えました。地元のに戻り、奉職した病院も赤煉瓦作りでしたが、昨年新築されて取り壊されました。ほどなく定年となります。近年忙しく、裕美さんコンサートも、10年くらいまえの大阪城野外音楽場が最後です。長く煉瓦荘をいろいろなネームに使わせていただいています。学生時代に井の頭公園に、裕美さんのコンサートが縁で知り合った家内と一度だけ行ったことがありました。時間が出来たらまた、裕美さんの歌を聴きに出掛けたいと思います。ご快復をお祈りいたします。私は足の形がカッコ悪いのでジャックパーセルは履けない、 、素晴らしいけど何今週発売の週刊文春、松本隆さんによる筒美京平さんへの追悼の文面にこの曲が出て来ましたその日が松本隆さんと筒美京平さんが会った最後の日と聞いてもう…胸が…今朝の朝日新聞に、松本隆さんが会心の出来と、この曲をあげておられました。筒美京平追悼売れない詩人松本隆、ゴールデンヒットメーカーの筒美!そして、可愛いシンガーの太田裕美!この三者のコラボレーションが、日本のJ・ポップスの歴史を作ったのだと思います!このキャラクター的に相反する人の邂逅により、絶妙な信頼関係から様々な、人間の機微を具現する見事なヒット曲が生まれた!「煉瓦荘」「木綿のハンカチーフ」松本は、筒美から、「ハンカチーフ裕美さんのファンでしたので、学生の頃から聞き慣れています。隠れた名曲だとされていますが、この曲名を筒美京平さんの追悼記事を読むまで花の「れんげそう」と覚えていました。松本さんが、自分のこと書いているのではないかと思われる部分があるそうです。今日11月14日NHK-FMの歌謡スクランブルは裕美さんの特集。新宿ルイードで裕美さんに直接お目にかかってとにかく嬉しかったことを思い出します。60歳過ぎの爺ですが、この曲を聴くと東京での学生時代を想い出して涙が止まりません松本隆さんの詞・亡くなられた筒美京平さんの曲、そして太田裕美さんの歌最近はこういう人の心の奥底を、やさしく撫でてくれるような名曲が本当に少なくなりましたねそれともただ単に、自分が時代についていけなくなっただけなのかなぁ……松本氏は主人公が詩人という設定なので わざと歌詞を詩的に書いているのだろうな煉瓦やという喫茶店があり高校当時入り浸りでした。この曲を聴くと涙が出ます高校生のときエレガンス、持ってたけどこの曲の良さに気づかなかったけど、今聴くとジンときますね高校生のころ眠れない夏の夜にこの曲聞いてたっけ恋愛も結婚もずっと後だったけどこんな恋愛に憧れてた。私たちは詩人てもデザイナーでも無かったけど、大学生の頃の下宿はみな6畳くらいで、たびたび友人たちと飲んで歌って朝になるまで寝顔見てました。懐かしい東京の青春が眠っている場所。色々な人の心に煉瓦荘は生きているのでしょう。太田裕美様が、紡ぎ出す。作詞、歌声が心に染み渡る!煉瓦荘。場面が空想として、出て来るような楽曲作品をThank youdasuー!裕美様へ。現在の段階の個人的な意見ですが太田裕美さんの最高傑作はこの煉瓦荘ではないかと思っています。音が いぃ なぁ !キハーダがリズムと関係なく鳴ってるのはどうなんでしょw何回も 何回も 繰り返して 聴いてしまう いつまでも 色褪せない 素敵な大切な 1曲ですLeave a ReplyYou must be logged in to post a comment.
35年位前高校生の頃によく聞いていた。それから15年後なぜか吉祥寺で歌詞にあるような暮らしをしていました。思い出すたび胸が苦しくなるような切ない男の気持ちの伝わる一曲です。以前Hiromi282さんがとても素晴らしい映像をアップロードされていましたが削除されてしまい本当に残念!!早くダウンロードしとけばよかった。。。今でもよく聴く曲のひとつです。
高校生の頃から聞いています。松本隆さんが詩人で、デザイナーの女性が見えてきます。アートが日常にあり、広告や音楽が頭上を漂っている都市感がいいです。歌詞の流れで、懐かしく戻って知る響きがさらに深いと思います。
~松本隆さんのTwitterより~昨日の午後は、茂と細野さんに会った。夜は京平さんと太田裕美のライブに行った。「煉瓦荘」という曲で、どんな歌詞だっけ?と聞き耳たててたら、目から透明な水が流れた。それを読んでこの曲を聞いたらやはり目から透明な水が・・・・
この歌って、とても素晴らしいのだけれど、規則性が無くて形式が無い歌なので最初から最後まで違うメロディーで出来ている。覚えて歌うのが難しいんじゃあないのかな。それに、詞のリズムとメロディーの関係で、本来伸ばしてもいいところで急にメロディーが変わったりしている。それを表現力豊かに叙情的に、当たり前の様に歌う裕美さんって、今更ながら凄い歌い手さんだと思う。こう言う機転の利く柔軟な歌唱力を持った歌い手さんに曲や詞を提供するのなら、作詞家や作曲家は規制が少なくて作品を提供しやすいんじゃあないかな。それでなくても、作詞家と作曲家は天才的な人達なのだから、3人が組めばヒットして当たり前だったのだろう・・・今更ながら思います。
「屋根までのぼれば副都心が見えた」・・。当時地方在住でしたが、新宿に高層ビルが建ち始めてそれはテレビでも紹介されていました。この歌で吉祥寺と新宿の距離関係を知り、その時に想像した風景は上京後実見した時と同じでした。
42年前、進学した大学は全寮制で、学生寮は赤煉瓦作りでした。北関東で副都心は見えませんでしたが、晴れた日は富士山が見えました。地元のに戻り、奉職した病院も赤煉瓦作りでしたが、昨年新築されて取り壊されました。ほどなく定年となります。近年忙しく、裕美さんコンサートも、10年くらいまえの大阪城野外音楽場が最後です。長く煉瓦荘をいろいろなネームに使わせていただいています。学生時代に井の頭公園に、裕美さんのコンサートが縁で知り合った家内と一度だけ行ったことがありました。時間が出来たらまた、裕美さんの歌を聴きに出掛けたいと思います。ご快復をお祈りいたします。
筒美京平追悼売れない詩人松本隆、ゴールデンヒットメーカーの筒美!そして、可愛いシンガーの太田裕美!この三者のコラボレーションが、日本のJ・ポップスの歴史を作ったのだと思います!このキャラクター的に相反する人の邂逅により、絶妙な信頼関係から様々な、人間の機微を具現する見事なヒット曲が生まれた!「煉瓦荘」「木綿のハンカチーフ」松本は、筒美から、「ハンカチーフ
裕美さんのファンでしたので、学生の頃から聞き慣れています。隠れた名曲だとされていますが、この曲名を筒美京平さんの追悼記事を読むまで花の「れんげそう」と覚えていました。松本さんが、自分のこと書いているのではないかと思われる部分があるそうです。今日11月14日NHK-FMの歌謡スクランブルは裕美さんの特集。新宿ルイードで裕美さんに直接お目にかかってとにかく嬉しかったことを思い出します。
60歳過ぎの爺ですが、この曲を聴くと東京での学生時代を想い出して涙が止まりません松本隆さんの詞・亡くなられた筒美京平さんの曲、そして太田裕美さんの歌最近はこういう人の心の奥底を、やさしく撫でてくれるような名曲が本当に少なくなりましたねそれともただ単に、自分が時代についていけなくなっただけなのかなぁ……
私たちは詩人てもデザイナーでも無かったけど、大学生の頃の下宿はみな6畳くらいで、たびたび友人たちと飲んで歌って朝になるまで寝顔見てました。懐かしい東京の青春が眠っている場所。色々な人の心に煉瓦荘は生きているのでしょう。
34 comments
売れない詩人とデザイナーの卵・・・。心にジンとくる名曲だと思います。
35年位前高校生の頃によく聞いていた。それから15年後なぜか吉祥寺で歌詞にあるような暮らしをしていました。思い出すたび胸が苦しくなるような切ない男の気持ちの伝わる一曲です。以前Hiromi282さんがとても素晴らしい映像をアップロードされていましたが削除されてしまい本当に残念!!早くダウンロードしとけばよかった。。。今でもよく聴く曲のひとつです。
本当に当時よく聞きました・・・。
35年も経つんですか…私も太田裕美が好きで好きでよく聴いてました…懐かしいですね、アルバム全部持ってますLPレコードですけど。
懐しいです。ほんっとに良いなあ~。一生聴き続ける曲です。
高校生の頃から聞いています。
松本隆さんが詩人で、デザイナーの女性が見えてきます。
アートが日常にあり、広告や音楽が頭上を漂っている都市感がいいです。
歌詞の流れで、懐かしく戻って知る響きがさらに深いと思います。
歌はあまりうまくないかもしれない・・・・が
雰囲気が良く好きな歌い手さんです!
~松本隆さんのTwitterより~
昨日の午後は、茂と細野さんに会った。夜は京平さんと太田裕美のライブに行った。
「煉瓦荘」という曲で、どんな歌詞だっけ?と聞き耳たててたら、目から透明な水が流れた。
それを読んでこの曲を聞いたらやはり目から透明な水が・・・・
私の青春の名曲です。q(^-^q)
太田裕美をフォークシンガーとするならこの楽曲が代表曲になるんだろうな(*´ω`)
こんなアパートに住みたかった。
毎晩毎晩、売れない詩人にデザイナーの卵と安酒飲み明かしたかった('A`)
この歌って、とても素晴らしいのだけれど、規則性が無くて形式が無い歌なので最初から最後まで違うメロディーで出来ている。覚えて歌うのが難しいんじゃあないのかな。それに、詞のリズムとメロディーの関係で、本来伸ばしてもいいところで急にメロディーが変わったりしている。それを表現力豊かに叙情的に、当たり前の様に歌う裕美さんって、今更ながら凄い歌い手さんだと思う。こう言う機転の利く柔軟な歌唱力を持った歌い手さんに曲や詞を提供するのなら、作詞家や作曲家は規制が少なくて作品を提供しやすいんじゃあないかな。それでなくても、作詞家と作曲家は天才的な人達なのだから、3人が組めばヒットして当たり前だったのだろう・・・今更ながら思います。
煉瓦荘、ホントにあるなら入居したかった。ホンダのモンキーを足代わりにね。
私の青春です!
「屋根までのぼれば副都心が見えた」・・。当時地方在住でしたが、新宿に高層ビルが建ち始めてそれはテレビでも紹介されていました。この歌で吉祥寺と新宿の距離関係を知り、その時に想像した風景は上京後実見した時と同じでした。
松本隆さんの詞が先みたいですが、
この詞に神ががった曲をつけた 筒美京平先生は凄すぎます
エレガンス
どのアルバムも好きだが、この
アルバムは独特の雰囲気があって
良かった。 当時 15歳。
42年前、進学した大学は全寮制で、学生寮は赤煉瓦作りでした。北関東で副都心は見えませんでしたが、晴れた日は富士山が見えました。地元のに戻り、奉職した病院も赤煉瓦作りでしたが、昨年新築されて取り壊されました。ほどなく定年となります。近年忙しく、裕美さんコンサートも、10年くらいまえの大阪城野外音楽場が最後です。長く煉瓦荘をいろいろなネームに使わせていただいています。学生時代に井の頭公園に、裕美さんのコンサートが縁で知り合った家内と一度だけ行ったことがありました。時間が出来たらまた、裕美さんの歌を聴きに出掛けたいと思います。ご快復をお祈りいたします。
私は足の形がカッコ悪いのでジャックパーセルは履けない
、
、
素晴らしいけど何
今週発売の週刊文春、松本隆さんによる筒美京平さんへの追悼の文面にこの曲が出て来ました
その日が松本隆さんと筒美京平さんが会った最後の日と聞いてもう…胸が…
今朝の朝日新聞に、松本隆さんが会心の出来と、この曲をあげておられました。
筒美京平追悼
売れない詩人松本隆、ゴールデンヒットメーカーの筒美!そして、可愛いシンガーの太田裕美!この三者のコラボレーションが、日本のJ・ポップスの歴史を作ったのだと思います!このキャラクター的に相反する人の邂逅により、絶妙な信頼関係から様々な、人間の機微を具現する見事なヒット曲が生まれた!「煉瓦荘」「木綿のハンカチーフ」松本は、筒美から、「ハンカチーフ
裕美さんのファンでしたので、学生の頃から聞き慣れています。隠れた名曲だとされていますが、この曲名を筒美京平さんの追悼記事を読むまで花の「れんげそう」と覚えていました。松本さんが、自分のこと書いているのではないかと思われる部分があるそうです。今日11月14日NHK-FMの歌謡スクランブルは裕美さんの特集。新宿ルイードで裕美さんに直接お目にかかってとにかく嬉しかったことを思い出します。
60歳過ぎの爺ですが、この曲を聴くと東京での学生時代を想い出して涙が止まりません
松本隆さんの詞・亡くなられた筒美京平さんの曲、そして太田裕美さんの歌
最近はこういう人の心の奥底を、やさしく撫でてくれるような名曲が本当に少なくなりましたね
それともただ単に、自分が時代についていけなくなっただけなのかなぁ……
松本氏は主人公が詩人という設定なので わざと歌詞を詩的に書いているのだろうな
煉瓦やという喫茶店があり高校当時入り浸りでした。この曲を聴くと涙が出ます
高校生のときエレガンス、持ってたけどこの曲の良さに気づかなかったけど、今聴くとジンときますね
高校生のころ眠れない夏の夜にこの曲聞いてたっけ恋愛も結婚もずっと後だったけどこんな恋愛に憧れてた。
私たちは詩人てもデザイナーでも無かったけど、大学生の頃の下宿はみな6畳くらいで、たびたび友人たちと飲んで歌って朝になるまで寝顔見てました。懐かしい東京の青春が眠っている場所。色々な人の心に煉瓦荘は生きているのでしょう。
太田裕美様が、紡ぎ出す。作詞、歌声が心に染み渡る!煉瓦荘。場面が空想として、出て来るような楽曲作品をThank youdasuー!裕美様へ。
現在の段階の個人的な意見ですが太田裕美さんの最高傑作はこの煉瓦荘ではないかと思っています。
音が いぃ なぁ !
キハーダがリズムと関係なく鳴ってるのはどうなんでしょw
何回も 何回も 繰り返して 聴いてしまう いつまでも 色褪せない 素敵な大切な 1曲です