この動画はNHK大河ドラマ豊臣兄弟!第37回「秀長の国」の振り返りと10月04日放送の第38回「和を似て大和をなす」10月11日第39回「茶々の本心」10月18日第40回「あさひの輿入れ」10月25日第41回「家康の野望」の内容をザテレビジョンの11月号ぼ10月放送の大河ドラマ豊臣兄弟の放送タイトルより予測しておとどけ解説いたいます。大和郡山編出演者キャスト紹介
37回~41回主な登場人物(下記の人物が活躍します)
豊臣秀長;仲野大賀
豊臣秀吉:池松壮亮
慶:吉岡里帆 秀長の正室
末:池端 杏慈 秀長の娘
むぎ:信川 清順 末の侍女
寧々:浜辺 美波 秀吉の正室
やや:増井 湖々 寧々の妹
浅野長吉:大地 伸永 ややの夫
なか:坂井 真紀「大政所(おおまんどころ)」
とも:宮澤 エマ 豊臣兄弟の姉。
長尾吉房:上川 周作 豊臣兄弟の姉ともの夫
羽柴秀次:山田 涼介 ともと長尾吉房の子 秀長と秀吉の甥。幼名・万丸。のちの豊臣秀次。
あさひ:倉沢杏菜 豊臣兄弟の妹
茶々:井上和 秀吉の側室となる
初:田牧 そら 長政と市の娘、浅井三姉妹の次女
江:西川 愛莉 浅井三姉妹の三女
羽柴秀勝:柊木陽太 秀吉の養子。信長の五男。
豪 :福地 美晴 秀吉の養女 前田利家とまつの四女。
前田利家:大東駿介 秀吉の生涯の友であり出世争いのライバル
まつ:菅井 友香 前田利家の妻 前田利家とともに歩み支え続けた賢妻
羽柴家の重臣
蜂須賀正勝:高橋 努
前野長康:渋谷 謙人
宮部継潤:ドンペイ
黒田官兵衛:倉悠貴
石田三成:松本怜生
加藤清正:伊藤絃
福島正則:松崎 優輝
平野長泰:西山潤
片桐且元:長友郁真
秀長家臣団
藤堂高虎:佳久創
秀長の重臣の一人。巨漢で知られ、初めは近江の大名の浅井長政に仕えるも、主君を変えて転々とする。
前線で戦うだけでなく兵站を任されるなど知勇兼備の武将。築城名人としても知られる
小堀政次(萩原 護)
近江の浅井家旧臣の出身で、秀長に仕える。秀長が治める紀伊や大和の検地を行うなど、行政官として手腕を振るう。
吉川平助(松岡広大)
秀長の新たな家臣。四国攻めでは秀長から紀伊湊の代官を任され舟を集めるなど活躍する。
もとは商人であったことから、その経験を活かして大きな戦力となる
羽田正親(平埜生成)ひらのきなり
秀長の家臣として頭角を現し家老に列する。
築城術に長け秀長が大和郡山城に入った際には普請に携わり藤堂高虎と共に内政軍事で活躍した。
桑山重晴 (住田 隆)
もとは秀吉に仕えていたが賤ヶ岳の戦いのころ秀長に家臣として仕え筆頭家老となる。
紀伊和歌山城代を務め、内政・軍事で秀長を支えた。
豊臣家家臣
高山右近:市川知宏 摂津高槻城主
中川秀政:大友至恩 中川清秀の嫡男
筒井定次:貴堂寛之 大和国の大名
徳川家
徳川家康:松下洸平
石川数正:迫田孝也 家康家臣
酒井忠次:天野ひろゆき 徳川家の重臣 徳川家の筆頭家老のちに徳川四天王
榊原康政:栗原類 徳川家の家臣 徳川四天王
本多忠勝:夏生大湖 徳川家の家臣 徳川四天王
井伊直政:阿久津仁愛 徳川四天王
於義伊 :立花 利仁 家康の庶子
興福寺僧侶
盤覚(ばんかく)坂口 涼太郎
興福寺一乗院の僧侶。大和の国主となった秀長に、興福寺の使者として謁見する。
兼深(けんじん)赤星昇一郎
興福寺の別当。この役を演じた赤星さんは2024年大河ドラマ「光る君へ」でも1006年頃 藤原道長の時代の興福寺の別当 定澄(じょうちょう)役、「功名が辻」では安国寺恵瓊役
俊英(新名基浩)
興福寺一乗院の僧侶ですが史実では英俊という興福寺多聞院の主で『多聞院日記』は英俊よりも前の応仁の乱の時代から作成されていたが英俊もこれを受け継ぎ天文3年(1534年)から
死の直前の文禄5年(1596年)に至るまでの60年間以上もの間を執筆した。当時の近畿一円の記録が僧侶達の日記から分る一級資料である。
大和の人々
石川清兵衛:伊藤健太郎 大和郡山の興福寺領にある村の庄屋
才蔵:間宮祥太朗 筆屋の主人
小平太:野平 駿 才蔵の弟子
川窪清俊:カトウシンスケ 奈良の豪商
狩野永徳:片岡 鶴太郎 狩野派の絵師
直(秀長の側室):白石聖(予想)
10月04日放送の第38回 「和を似て大和をなす」
大和国を治める秀長に新たな問題が持ち上がります。 国を動かすにも、町を整えるにもお金が必要です。しかし、大和の財政には余裕がありません。そこで秀長が目をつけたのが、郡山の商いでした。人と物が集まる町をつくり、商売を盛んにする。 秀長は商人たちを郡山へ呼び込もうとします。ところが、奈良で商売を続けてきた豪商たちは、なかなか動こうとしません。そんな中、郡山で店を開いたのが筆屋の才蔵(間宮祥太朗)でした。才蔵は確かな筆づくりの腕を持ちもともとは奈良で店を構えていた人物です。 秀長は、まず才蔵の店を軌道に乗せようと考えます。 郡山でも商売が成り立つことを実際に見せる。一軒の店が繁盛すればそれを見た商人たちも郡山に興味を持つかもしれません。力ずくではなく人が自然と集まる仕掛けをつくる。 秀長の新たな国づくりが始まります。一方、大坂の秀吉にも転機が訪れていました。朝廷から、新たな姓を名乗ることを認められたのです。何と名乗るのか。 秀吉が考え始めた新たな姓は、やがて兄弟の名とともに歴史に刻まれることになります。
10月11日放送 第39回あらすじ 「茶々の本心」
秀吉は石川数正を大坂城へ呼びある役目を命じます。それは、徳川家康と真田昌幸を和睦させることでした。豊臣家の財力と勢いを目の当たりにした数正は家康を説得しようとします。しかし、家康は和睦を拒否。むしろ豊臣との戦いを見据え準備を始めます。 秀吉と家康の緊張はまだ収まりそうにありません。そのころ秀長が考えていたのは戦とは別の問題でした。豊臣家の後継者です。 秀長は秀吉に実の子をもうけるため新たな妻を迎えるよう勧めます。秀吉とねねの間には実子がなく豊臣家の将来を考えれば後継者は避けて通れない問題でした。では、新たな妻には誰を迎えるのか。 名前が挙がったのが茶々です。 茶々は浅井長政とお市の間。お市は織田信長の妹なので茶々は信長の姪にあたります。しかし、茶々を妻に迎えるよう勧められた秀吉は猛反発。長年連れ添ってきた妻・ねねの気持ちを考えてのことでした。
10月18日 第40回あらすじ 「あさひの輿入れ」
石川数正が徳川家を離れ秀吉のもとへ出奔します。徳川家の内情をよく知る重臣を失っても、家康は秀吉に屈するつもりはありません。秀長も両者の間を取り持とうとしますが事態を収めることはできません。ついに秀吉は徳川討伐へ動き出します。 ところが、その矢先に大地震が発生しました。のちに「天正地震」と呼ばれる大地震です。天正地震は1586年1月に発生し、中部地方から近畿地方にかけて広い範囲に被害をもたらしました。徳川との戦を進めようとしていた秀吉にとっても、大きな誤算となります。 武力だけで家康に従わせることが難しくなるなか再び和睦への道が探られます。そこで浮上したのが、婚姻によって豊臣家と徳川家を結ぶ方法でした。 秀吉の妹・あさひを、家康の妻として嫁がせるという案です。 しかし、あさひには夫・甚助がいました。天下統一のためとはいえ妹を夫と別れさせてまで家康へ嫁がせるのか。 秀吉と家康の天下をめぐる駆け引きの裏で、あさひと甚助の夫婦にも大きな決断が迫られます。
10月25日あらすじ 第41回 「家康の野望」
秀吉は、家康を自分のもとへ上洛させようとしていました。そのために妹・あさひを家康へ嫁がせます。しかし、それでも家康は動きません。そこで秀吉は、母・なかまで家康のいる岡崎へ送ります。ここまでされては、家康も断り続けることができません。ついに上洛を決意。ところが秀長は、家康が心から秀吉に従うつもりではないと感じていました。あくまで形だけの上洛ではないかと考えます。そこで秀長は、秀吉との謁見を翌日に控えた家康を接待。駆け引きではなく、自らの胸の内をさらけ出します。 豊臣が本当に手を取り合うべき相手なのか、自分の目で見極めてほしいと秀長は家康にそう訴えます。しかし、家康には別の狙いがありました。この機会に、秀吉の懐刀である秀長を暗殺しようと企てていたのです。
今回確認した史料では、1586年の上洛時に家康が秀長を暗殺しようとした記録は確認できません。1586年10月26日 家康が大坂へ到着し家康は大坂へ入り、豊臣秀長の屋敷に宿泊しました10月26日夜 秀吉が秀長邸を訪問 黒田先生の資料にも書かれています。秀吉と家康が酒を酌み交わす『家忠日記』には、秀吉が家康を奥座敷へ案内し、酒を酌み交わしたことが記載されています。10月27日 家康が秀吉と対面 。翌日、家康は大坂城へ登城し、秀吉と正式に対面しました。つまり、康が秀長邸に宿泊したこと自体は史実です。
動画タイムライン
00:00 動画概要説明 お末の最期
00:30 豊臣兄弟!10月放送予定とタイトル
00:42 豊臣兄弟!第37回「秀長の国」振り返り
02:42 豊臣兄弟第!37回「秀長の国」解説
04:00 石川清兵衛について視聴者アンケートの結果
04:23 豊臣兄弟!第38回「和を似て大和をなす」あらすじ解説
07:32 豊臣兄弟!第39回「茶々の本心」あらすじ解説
09:38 豊臣兄弟!第40回「あさひの輿入れ」あらすじ解説
12:08 豊臣兄弟!第41回「家康の野望」あらすじ解説
15:03 国立公文書館「家忠日記」松平家忠の家康上洛の記載について
16:34 豊臣秀長の長女お末の最新研究について
20:00 直役の白石聖さん一人二役で登場する可能性
21:51 視聴者クイズ
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チャンネル紹介
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【大河ファン歴史ドラマ研究所】
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NHK大河ドラマの徹底解説・考察をお届けしています!
毎週日曜お昼のBS4K先行放送を視聴し、どこよりも早く最新情報をお伝えします。
放送前に知っておくとドラマがもっと面白くなる歴史情報をお届けしています。
みなさんの考察や感想もぜひコメント欄で教えてください!
▼【参考資料・出典引用】
NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』公式サイト
NHK大河ドラマ豊臣兄弟放送内容より
黒田基樹:羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで
ザテレビジョン11月号
国立公文書館
Wikipedia
Audiostock
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19 comments
速報ありがとうございます😊史実での茶々は秀吉の側室になり子を産みますが今回のドラマでは父親は秀吉じゃないとか!俗説では茶々と石田三成が密通して出来たこだとか。ぜひ研究所のみなさん調査してください!これは大スクープになりますよ
動画ありがとうございます。視聴者クイズ正解は「和睦」のため?
え?お末、死んじゃうの?ドラマでは一人娘だから最後まで生きて秀保と結婚するに1票「視聴者クイズ 回答」 家康と仲直りだったかな
【お詫びと訂正】動画内 3:50 付近で倉沢杏菜さんは 道長の娘の 藤和妍子役 とテロップで表示されていますが、正しくは「藤原妍子」でした。
光る君への同窓会みたいですね😅
石川清兵衛の役の伊藤健太郎さん、この人の名前を聞くと真っ先に思い浮かべるのが、
アシガールのドラマを思い浮かべます。役どころは小さなお城の若殿様役でしたね😊
現在の女子高生が弟が開発したタイムマシン(確か満月の夜に刀抜くとスイッチが入る)で
戦国時代にタイムスリップする。たまたま見かけた若君(伊藤健太郎)を見て一目惚れ、
どうにかして私の存在を知ってもらうために男に変装してその城の足軽になり若殿様を守るラブコメ時代劇です。
他の動画で観ましたが、間宮祥太朗さん他、新キャスト似たろうが付く4名が居るらしく、たろうばかりで、これも狙いかなあと😅
藤原氏って大化の改新まで遡るんやな!
鎌足まで凄い歴史ある苗字!
オープニングが変わりましたね😊
御末ちゃんは生き延びてほしいです🙏秀長よ!ブーメランをくらえ🤣🤣🤣第39回の後半、何かが起こるか?とにかくあの人の「再登場」願う🙏
お疲れ様でした! 最新情報満載ありがとう御座います。
まずは第37話、かなり良かったですね。第36話が「秀長と元親」という人と人との絆の話だったのに対して、今回は明確に「秀長が一国を治める」話になっていました。
特に印象に残ったところがいくつかあります。
蜂須賀小六の最期への持っていき方。宴の場面があまりにも楽しそうだっただけに、その直後に倒れるのがつらいです。しかも、隠居しても兄弟の夢を叶えるのを見届けると約束した直後です。本人としては「これからも秀吉・秀長を見守る」つもりだったのでしょうから、その約束が果たせなくなるのが余計に切ない。
そして、これまでの仲間が一堂に会しているのも重要だと思います。墨俣一夜城の頃から一緒だった秀吉・秀長・小六・長安。そこへ官兵衛や高虎ら新しい世代の家臣が加わる。「羽柴家の第一世代から第二世代へのバトンタッチ」を、宴会一つで見せているんですよね。
小六が亡くなることで、秀吉の周囲からまた一人、「昔の秀吉」を知る人間がいなくなる。第36話での小六の言葉が、ますます重くなります。
今回、さらっと描かれていますが、かなり重要です。
高山右近 → 明石
筒井定次 → 伊賀
秀次 → 近江43万石
単なる恩賞ではなく、畿内の支配権を誰に握らせるかという秀吉の政治判断になっている。
特に秀次への43万石は凄いですよね。
秀吉が「関白になったから天下人になった」というだけではなく、天下人として自分の政権を維持できる配置に変えている。そして、これが後々の秀次にもつながっていくと思うと、今回の描写はかなり重要です。
本題の 「秀長の国」これは非常に分かりやすかったです。
秀長が大和を与えられて、 「検地を行う」と決断する。ここで秀長が単純に「民衆に優しい殿様」になるのではなく、「不正な仕組みそのものを変える」という方向に進んだのが良かったです。そして磐覚との対決も、「御仏のお心は分かりません。しかし従っていただけなければ、関白殿下がお許しになりませぬ。」
これ、秀長らしくていいですね。「仏罰なんて迷信だ!」と馬鹿にするわけでもない。宗教そのものを否定しない。でも政治と宗教の領域は分ける。秀長の現実主義がよく出ています。それにしても磐覚、実に憎たらしい適役でしたね。(笑)演じた坂口涼太郎さん、お見事でした!
石川清兵衛の存在も良かったです。清兵衛は単純な「寺社勢力の手先」ではない。本当に仏罰を恐れている。だから、「寺に逆らった者はみんな罰が当たり、命を落としました」と言う。つまり秀長が戦う相手は、磐覚のような権力者だけではなく、長年の支配によって民衆の心にまで染み込んだ恐怖なんですよね。だからこそ、検地を成功させるには「武力で寺を黙らせる」だけでは足りない。領民自身に「秀長についていっても大丈夫だ」と思わせなければならない。今回そこまで描いたのは、かなり丁寧だと思いました。
そして藤堂高虎が怖かった(笑)完全に「秀長軍の実働部隊」ですね。
しかも 寺の灯籠などを石垣の資材として持っていくのが凄い。
「お前たちが力を使うなら、こっちも力を使うぞ」
という秀長側の意思表示。
第36話の長宗我部戦では、秀長は最後まで元親を救おうとしました。今回は逆に、「譲ってはいけないところでは、徹底的に押し通す」という秀長を見せています。これによって秀長が単なる温厚な人物ではないことがよく分かります。
兼深の登場。個人的にはここが今回の政治ドラマとして一番好きです。秀長が、「力で寺を潰す」ところまで行かない。
一方、寺側も、「これまでの利権を全部守る」ことを諦める。そして、
秀長 → 興福寺への毎年の寄進
興福寺 → 大規模検地を承認
という妥協点を作る。これはかなり現実的です。第36話では「元親の命を救うために妥協点を探した秀長」。第37話では「寺社勢力と領民のために妥協点を探した秀長」。
戦場でも政治でも、「相手を完全に叩き潰す」のではなく、相手が受け入れられる着地点を探す。これが秀長という人物の一貫した描き方になっていますね。
ラストはめちゃくちゃ良かったです。
秀長が地蔵を拝んでいたところへ慶が来て、秀長が立ち上がった直後にあの崩れ。 「慶はわしの守り神じゃあ!」から、「いえ、こたびは兄様かと」これは綺麗なオチでした。さらに秀吉からの贈り物を見て、「流石関白殿下じゃ」となる。
つまり、秀長にとって慶も守り神、秀吉も守り神。兄弟と慶の関係を、重くせずに笑いで締めたのがいいですね。
第36話の感動的な長宗我部との別れのあと、第37話は政治劇が中心だったので、最後にこういう「豊臣兄弟らしい笑い」を入れたのも非常に良かったと思います。
今回、個人的に一番大きい変化は、秀長がもう完全に「秀吉の弟」ではなく「大和の領主」になったことだと思います。第1話の頃の秀長から考えると、ものすごい変化です。しかも兄の秀吉が天下人として巨大化していく一方で、秀長は大和で、「どうすれば人々が安心して暮らせる国になるのか」を考えている。
この兄弟の道が、ここから少しずつ違っていくんでしょうね。
そして……小六が亡くなった。「兄弟の夢を見届ける」人間が一人減ったところで、秀長の国づくりが始まった。そう考えると、第37話はかなり重要な転換点だったと思います。
続いて今回の動画
かなり情報量の多い回でしたね。特に今回は、第37話の感想+今後の展開予想+史実研究のアップデートが一気に入っていて、とても面白かったです。。
まず一番興味深かったのは、やはりお末の扱いです。お末については、かなり重要な伏線になりそうですね。
紹介された2025年に見つかった史料の話が本当なら、これはドラマ側にとってかなり悩ましいところですね。これまで「秀長に娘がいた」という確証が乏しかったところに、
天正18年ごろの公式の贈答記録
「おえ」宛ての品物
毛利秀元との婚約・結婚時期との関係
しかし実際に秀元と結婚したのは別の娘だった可能性
という材料が出てきた。
つまり、「秀長には長女がいた。しかし、その長女は後に秀元と結婚した娘とは別人だった可能性が高い」という、ドラマにとって非常に面白い問題が出てきたわけですね。そしてドラマでは、お末をあえて秀長とともとの娘として設定している。
ここが本当に気になります。
もしドラマがお末を史実上の「長女」としてそのまま描くなら、将来的に秀元との婚姻をどう処理するのか。
逆に、
お末は若くして亡くなる
↓
後から秀長に別の娘が生まれる
↓
その娘が秀元と結婚する
という展開なら、今回紹介された研究ともある程度整合します。ただ、そうすると池端杏慈さん演じるお末をかなり早い段階で退場させる必要がある。確かにこれは物語としても相当大きな出来事になりそうです。
そして「白石聖さん一人二役説」は…… もはや何も言う事ありません(笑) あとはこれから第38話、第39話…… と物語が進むにつれて本当に実現するのか見ていきましょう。😄
今回発表された今後のあらすじはそれぞれその時が来たらコメントしていきたいと思いますが、今二つの点が個人的に非常に気になりました。
まずは、秀長が茶々を秀吉の側室に勧める展開。ここは今回の情報の中でもかなり重要ですね。これまで想像していた印象とは、かなり逆方向です。
普通に考えると、
「秀吉が茶々を望む」 →「秀長がどうするか悩む」
という構図を想像しやすい。ところが、このドラマでは、
秀長「兄上、茶々様を側室に迎えては?」
という方向になる。
更に秀吉が、
「ねの気持ちを考えれば、そんなことはできない」
と拒否する。
これは非常に「豊臣兄弟」らしいですね。
秀長は天下のために現実的な手段を考える。一方、秀吉はここでは珍しく、天下人としてではなく「ねねの夫」として判断する。この構図はかなり面白いです。と言うか、今までにない発想です!制作陣大胆にいきましたね!
しかも皮肉なのは、秀長が秀吉に「側室を」と勧めたことが、後々自分自身に返ってくる可能性を指摘しているところ。
ここから、
「秀吉には側室を勧めた秀長自身はどうするのか?」
という問題が出てきます。
秀長と慶の関係をかなり丁寧に描いてきたドラマだけに、ここは単純な「子供を作るために側室を」という話にはしないでしょう。
そして家康暗殺未遂。これは完全にドラマオリジナルだからこそ楽しみです。
史実では、家康が秀長の屋敷に宿泊したこと自体は記録されている。そして『家忠日記』に関連する記録がある。
ところが、
家康が秀長を暗殺しようとした
という話は確認できない。
つまりドラマは、史実として確認できる「家康が秀長の屋敷に泊まった」という出来事に、「実はその夜、家康には秀長を討つ意図があった」というフィクションを組み込んだわけですね。
これはかなり巧い脚色だと思います。
なぜなら、史実の出来事を完全に無視して作った話ではなく、「記録に残っている出来事の裏側に、ドラマとして何があったのか?」という形にしているからです。
しかも秀長は家康に対して、
「豊臣と徳川は本当に手を取り合うべきなのか、自分の目で見極めてほしい」
という姿勢になる。
これなら家康が秀長を殺そうとする理由にもドラマ上の意味が出てきます。
単なる「悪い家康が暗殺を企てる」ではなく、
家康から見れば、秀長こそ豊臣政権の実質的な要であり、最も警戒すべき人物という構図になるわけです。これはかなり緊張感のある展開になりそうです。
そして第38話の「和を以って、大和をなす」も楽しみ
第37話が、「寺社勢力との対立をどう解決するか」だったのに対して、第38話は、「経済をどう立て直すか」になる。
これがいいですね。
秀長の大和統治を、
1. 検地
2. 寺社勢力との対立
3. 領民との信頼関係
4. 商業振興
5. 郡山という新しい城下町の形成
という段階で描いている。
単に「秀長は名君でした」で終わらせず、一つの国を実際に運営していく過程を描いているのが、この大和郡山編の魅力だと思います。そしてそこに間宮祥太朗さんの才蔵。彼が史実上の人物なのか、ドラマオリジナルなのかはともかく、「一人の商人の店を成功させる」という小さな物語を通して秀長の国づくりを見せるのは、かなり「豊臣兄弟」らしいやり方ですね。
そして何より、
第38話「和を以って、大和をなす」
→ 第39話「茶々の本心」
→ 第40話「あさひの輿入れ」
→ 第41話「家康の野望」
という並びがすごく興味深いです。
第38話では「大和をどう治めるか」。
第39~41話では一気に、
豊臣家の後継者問題 → 茶々 → 徳川との対立 → 朝日の政略結婚 → 家康上洛
へと話が天下の中心へ戻っていく。
そしてその中心にずっと秀長がいる。
だから第37話の最後、 「また面倒な事か……」
と言って立ち上がった秀長が、今後どんどん「兄の天下のために問題を解決する人」になっていくのが見えてきます。
そして今回の情報で一番怖いのが、秀長が秀吉に「側室を」と勧めたことが、後半の秀長自身の家族問題にどう跳ね返ってくるのかですね。
これは今まで丁寧に描いてきた秀長と慶の夫婦関係が、後半になってどう試されるのかという意味でも、かなり気になるところです。
来週もよろしくお願いします。
キャーキャーキャーキャー俺の正室(天女様)可愛い ❤リクエストはセクシーな水着姿 黒田レポーターはお風呂 里穂研究員もお風呂 まひろさんは浴衣姿で 直は厳しい出演になるかも?(救命病棟24時とかぶる可能性大だから)
ゼクシィCMの子、和装も似合うね。あと「今日から俺は」の伊藤と今井が、庄屋と秀長で出会うとは…
問題の回答は徳川家康と真田昌幸との和睦を石川数正に依頼ではないですか。
信川清順さんの字幕を見て、そういえば「光る君へ」で伊藤健太郎さんと
共演したような気がすると思ったら、同窓会的メンバーという解説で合点が
いきました。光秀尼との一夜の後のこと、どんべいの湯気越しにニコニコ笑う
慶の笑顔を小一郎が気づき恐れをなすという場面を入れるようお願いしたいです。
大和郡山城は信長の時代、筒井順慶に大和の地にあるたくさんの砦(トリデ)を
大和郡山の地に集約して管理しやすくするよう命じられたことが発端とのこと。
大和郡山城の位置は北から南に流れる富雄川と秋篠川によって古代から形成された
西ノ京丘陵の南端にあたり、奈良盆地のほぼ四方を見渡せる立地で、元々丘陵の
谷部分を内堀に転用し、中堀は農業用ため池を転用。外堀は豊臣秀保の跡を継いだ
増田長盛(マシタ ナガモリ)の時代に秋篠川の流れを佐保川にかけ替え、旧秋篠川を外堀に
転用したとのこと。
今回、大和郡山城の歴史を調べて驚いたことは奈良盆地を流れるこの秋篠川、
佐保川、そして、大和川の流域に古代からの史跡があるということです。
佐保川の上流には春日大社、東大寺、興福寺など。秋篠川の上流には秋篠寺、西大寺、
薬師寺、唐招提寺など。大和川の上流には長谷寺、三輪大社、纏向遺跡など。
寺や建物の建築に必要な資材を運び入れるのに舟を使っての運搬に都合がいい
ということで、川に堰(セキ)を設けることで、川の深さを調整できたようです。
河川と河川の合流点には商業都市が発展しました。
また、平城京の建設の際、秋篠川や佐保川は条里制に合わせて、かけ替え
工事が行なわれ、河川の流れが直角に曲がっている箇所が多く、条と条との間を
河川が流れるよう運河を形成した。郡条里制の郡は地方都市ごとに条里の碁盤の目
を構成したということ。豊臣の時代、この条里に合わせて度量衡の単位を統一し直し、
昭和の中頃まで尺貫法として使われていたとのこと。
着物の1反は人の着物に必要な布の広さを表し、税金を納める際の米の1反=1石=布1反
と等価変換できるということ。建物と着物の1尺は京竹尺と鯨尺に使い分けられ4対5の
比率に統一された。京間の畳の長辺の長さは6尺3寸で、京竹尺が使われ、
着物の1反の長さは3丈3尺(約12.5m)で鯨尺が使われた。鉄製の物差しは暑さに
よって延び縮みするため竹製のもの差しが標準とされたということのようです。
現代に繋がる京間、1反ということがようやくわかってきました。これも豊臣兄弟の
おかげです。
ちなみに大和郡山の現在は金魚の養殖で有名ですが、江戸時代の柳沢吉保の子息である
柳沢吉里(ヨシサト)の時代、そしてその家臣たちが深く関わって、単なる「遊び」
というよりは、「藩主や武士たちの高級な趣味(愛玩)」として持ち込まれ、
のちに「武士の副業」へと発展していったというのがいきさつのようです。
奈良借しと大和郡山復興策は、奈良の勢力を削ぐ役目もあった様ですが、奈良借しは、端折るのでしょうね😅
■権力による強制的な高利貸しと大和郡山の
振興と奈良の力を削ぐ為の大和郡山振興策
「大和郡山の「振興策」もかなり強引だった。」
これも『多聞院日記』に記載があるが、
◉天正13年(1585)9月に入国すると、
🌟翌月には奈良での「商売を禁じて、」物の売買は「郡山」でのみ行うように命じた。
味噌や酒、胡麻や油から、菜、海苔、柴木から硫黄に至るまで、それまで特権的に商売が認められ、大和の経済の中心となっていた「奈良」では、「一切の商売ができないこと」にし、
🌟「郡山」でのみ商売を認めたのである。
「郡山」では家地子(宅地税)を免除して同業者を集め、大和国内の経済および物流の中心を奈良から郡山へと、強引に移そうとした。
○奈良の町人にとってはたまったものではなく、撤回を訴えて郡山に向かった町人もいたが、門前払いだった。☝️
こうして困り果てた奈良の町人に対しては「ならかし(奈良貸し)」が行われた。
金銀や米銭などが貸し付けられたのだが、救済策ではなかった。
🌟秀長が権力によって「強制的に貸し付け」
高利で返済させたのだ。権力による強制的な高利貸しだから、たちが悪い。☝️
🌟奈良の町人たちが苦しんだのはいうまでもなく、『多聞院日記』によれば、秀長が死去した
◉天正19年(1591)には、厳しく取り立てられた余り、「殺人事件」が起きたり、「町人が一家心中」に追い込まれたりしたという。
何事も徹底的に厳しかった秀長さん
大和郡山城の石もあちこちから引っ張ってきた様です😅
■大和郡山城に使われた地蔵
「収奪」が厳しかったのは「年貢」だけではない。秀長は大和郡山城の改修に際しても「収奪」が厳しかった。☝️
当時、「天下」とは山城(京都府南部)、大和、河内(大阪府北東部から南東部)、和泉、摂津(大阪府北中部と兵庫県南東部)の五畿内とその周辺を指した。
すなわち秀長は、天下の南部で大坂城のすぐ東側の統治をまかされたわけで、以後、大和郡山城はその本拠地にふさわしい城へと大改修された。
🌟その際、苦労したのは「石垣集め」だった。当時は城郭に大規模な石垣が築かれるようになって間もなく、山地から石材を切り出すシステムが整っていなかったため、秀長はそこら中の石を根こそぎ大和郡山城に運ばせた。☝️
『多聞院日記』によれば、「興福寺」からは「墓石」や「地蔵」にはじまって、「庭石」や「礎石」まで持ち去られ、筆者の「英俊」が嘆いている。
無秩序に石が持ち去られた結果、「薬師寺で採石」が禁じられたという記録もある。
○領民に対しても、各家には石垣の背面に入れる裏込め石の「供出」が命じられ、「石臼」などの生活用具も集められた。☝️
🌟要するに、領民が苦しんでいるから寺に対して年貢の適正化を図った、というきれいごとではなかった。
○自分の城を築くのに石材が足りなければ、
「寺社」だろうと「領民」だろうと容赦なく収奪したのが秀長だった。☝️
石川 数正には 秀吉の 家臣になってくれ と いわれ
二役は あり得ない
し 秀長との一夜も ないと思う なぜなら もう年で あそこも 立た へんがな〰️😅
「四国征伐後の国替え」後、
西日本大幅なシャッフルになります。
◉天正13年(1585年)閏8月~9月、秀吉が大規模な国替えを実施する。☝️
○紀伊・和泉・大和 (三か国で83.4万石):
羽柴秀長 ※大和を加増。紀伊・和泉には秀吉の直臣も配置される
○播磨神東郡内 (500石):福島正則 ※安堵
○播磨三木 (3万石):中川秀政(摂津茨木から転封てんぽう)
○播磨明石 (4万石):高山右近(摂津高槻から転封)
○播磨宍粟 (5万石):黒田孝高 ※安堵
○近江八幡 (43万石 ※宿老含む):
羽柴秀次(補佐に田中吉政ら)
○近江坂本 (5万石):浅野長吉 (長政) (京都奉行)
○近江長浜 (2万石):山内一豊
○近江佐和山 (4万石):堀尾吉晴
○近江水口 (6万石):中村一氏
○摂津能勢郡 (1万石):脇坂安治(その後、大和高取 (2万石) 、淡路洲本 (3万石) )
○摂津豊島郡 (3万石):加藤清正(翌年に蔵入地として播磨飾東郡)
○但馬出石 (5.3万石):前野長康(播磨三木から転封(加増))
○紀伊和歌山 (3万石):桑山重晴(但馬竹田から転封(加増))
🌟河内 (24.2万石):直轄領
○淡路津名・三原 (1.5万石):加藤嘉明(翌1586年)
○讃岐 (12.6万石):仙石秀久(うち2万石は三好存保)
○讃岐小豆島 (推定3000石):小西行長
○阿波 (18.3万石):蜂須賀家政(うち1万石は赤松則房)
○伊賀 (10万石):筒井定次(秀長与力) ※大和から転封(減封)☝️
○美濃大垣 (2.5万石):一柳直末
○伊勢松ヶ島 (12万石):蒲生氏郷 ※天正12年 (1584年) 6月に転封(加増)
○若狭 (8.5万石):丹羽長重 ※佐々成政討伐の際に内応したとの疑いにより越前・加賀南半国二郡を没収☝️
○越前北ノ庄 (18万石):堀秀政
○越前府中 (12万石):木村重茲
○越前東郷 (15万石):長谷川秀一
○越前敦賀 (5万石):蜂屋頼隆
○越中(東一郡) (推定11万石):佐々成政 ※越中東一郡に減封、佐々成政は大坂へ出仕☝️
○越中(西三郡) (推定27万石):前田利長 ※加賀松任から転封(加増)☝️
○加賀(半国)・能登 (推定40万石):前田利家 ※安堵☝️
○備前・美作 (40.9万石):宇喜多秀家 ※安堵
○伊予 (36.6万石):小早川隆景(毛利家臣として受領)
○土佐 (9.8万石):長曽我部元親
(参考文献:『天下統一 信長と秀吉が成し遂げた「革命」』藤田 達生(著) 中公新書、その他資料)
🌟この国替えにより、「畿内」は主に一門衆や直臣が統治することになる。☝️
「大和国を与えられた羽柴秀長」は郡山城主となる。郡山城の曲輪を多く普請し、城郭を拡大させる。また商売を郡山城下町のみに限定し、城下町を発展させる。☝️
○秀長が大和国に入ったことで、大和国の守護権を持ち統治していた興福寺の支配領地は縮小される。☝️
○近江八幡を与えられた「羽柴秀次 (18歳) 」には補佐役として「田中吉政、山内一豊、堀尾吉晴、中村一氏、一柳直末」がつく。
秀吉の指示により秀次は琵琶湖の畔に近江八幡城 (八幡山城) を築城。
🌟城下町は商業に適した碁盤目状の町割りや八幡堀の水運を開いて安土城下の町民を移転させる。
翌年には八幡楽市楽座を制定し、商業発展の基礎を築く。☝️
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