1989年に発売された、森高千里さんの「17才」。

この曲は、南沙織さんが1971年に歌ったヒット曲のカバーです。

でも「17才」が生まれる少し前、
森高千里さんは順調とは言えない時期を過ごしていました。

どうしても売れたい。

そんな気持ちが強く、
曲のことを考えすぎてストレスがたまり、
1988年には体調を崩して2度入院。

そこで少し考え方を変えます。

「焦るのはやめよう」
「もう少し自然にやっていこう」

そんな頃、
ディレクターが持っていた南沙織さんのベスト盤を一緒に聴き、
そこで流れてきたのが「17才」でした。

森高さんが
「歌ってみたい」
と口にしたことから、カバーすることが決まります。

ちなみに当時の森高千里さんは20才。

そしてシングルのB面には、
自身が作詞した「20才」が収録されました。

さらに「17才」の少し前、
ライブで着たミニスカートが観客に好評だったことから、
色違いの衣装を作ってテレビでも着るようになります。

曲とともに、その姿も大きな注目を集め、
「17才」は森高千里さんにとって初めてのオリコンTOP10入り。

ここから、
ミニスカート姿を含めた
“森高千里らしさ”が広く知られるようになっていきました。

必死に売れようとしていた時ではなく、
少し力を抜いたあとに訪れた転機。

今改めて「17才」を見ると、
この曲が彼女にとって大きな一曲だったことがよく分かります。

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26 comments
  1. 高校生だったあの頃
    ウォークマンで
    森高さんの曲を通学や休み時間、カセットテープが擦り切れるほど聴いていました。

  2. 子供の頃、CD屋に貼ってある、非実力派宣言のポスター見て、奇抜な衣装、スタイルの良さと美人だったので、ニューハーフのポスター貼ってあるのと勘違いしてしまった。
    本当にごめんなさい😅

  3. 今も変わらずお綺麗ですね、ライブのLDとか買いました。
    ライブで衣装を踏んで躓いて口パクで無かったのも凄い。
    夜の煙突が好きかな。

  4. 「ミーハー」の入ったアルバムを持ってる。基本シングルは買わなかったし、アルバムの出来で推すかどうか決めてた。勿論、推したなぁ

  5. 斉藤由貴さんの「夢の中へ」の後、カバー曲を
    歌って売れなかった方々が歌手活動を停止したので
    「斉藤さんを旗手にして篩に掛けた?」と思いました。
    森高さんは後が無く、脚線美で勝負に出たのでは?

  6. だいてとか私はおんちとか、売れる前のGET SMILEとかオーバーヒートナイト好きで歌ってました🎵

  7. 平成の人たちは17才といったら森高千里と言うでしょうね!昭和の人たちは17才といったら南沙織でしょうね!😅

  8. 森高千里はルックスで売っているの非難する人がいた。鼻声で、同年代の女性アーティスト(坂井泉水、吉田美和)に比べて歌は上手く無いけど作詞作曲出来るし、同性のファンもいたから下手なアイドルより断然良い。

  9. 宅八郎はやりすぎて、森高千里側からNG扱い。

    実際は、宅八郎の森高千里推しはヤラセだった。
    噂では、宅八郎と森高千里側はそこまでではなかったが、あそこまでNG確立したので、それを貫くとの事で宅八郎側が融和を辞退したとか?
    まあ、未確認情報なので信憑性はない。

  10. 森高くらいのルックスなら当時の芸能界で何人かいて、みんなそこそこ売れてた。
    他の女芸能人と違って音楽的なセンスと当時の時代を半歩先取った歌詞を大量に生んだセンスがここまで売れた最大の武器だと思う。

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