六十四年。それは、一人の女性が、自分のものではない姓を背負い続けた、その年月のことです。

1989年、日本中が美空ひばりの死を悼んでいたとき、葬儀の片隅に立つ一人の女性に気づいた人はほとんどいませんでした。彼女こそ、ひばりの実の妹―佐藤勢津子さんでした。

なぜ六十四年経った今も、国民的スターのたった一人の妹は、自分の人生をきちんと語ろうとしないのでしょうか。

この動画では、佐藤勢津子さんの生涯を振り返ります。

・幼少期の磯子「魚増」と青空楽団、舞台の袖から姉を見つめた少女時代
・二十二歳で横濱の名家・佐藤軍治の息子に嫁ぎ、加藤姓を捨てた決断
・三十代で夫を、五十代で姉を、六十代で長女を見送った沈黙の日々
・五十四歳での歌手デビューと、二年にわたるボイストレーニング
・加藤四姉弟でただ一人残された、現在の姿

そして、六十四年間、佐藤せつこという名を守り続けた、その意味とは。

※ この動画は公開情報および出版物に基づいて制作しています。
※ ご本人・ご遺族への敬意を持って制作しております。
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12 comments
  1. 皆さまにも、ずっと「誰かの妹」「誰かの姉」として生きてこられたご家族はいらっしゃいますか。
    よろしければコメント欄でお聞かせください。

    最後までご視聴いただき、ありがとうございました。

  2. おはよう御座います。ありがとうございます。節子さんも歌いたかったのですね。
    夢が叶いましたね。叶えましたね。
    お姉ちゃんも観てますね。喜んで、応援してますよ。私たち、ファンも嬉しいことです。🍎❤️❣️

  3. 私は広島市在住です。いま83歳です。昔々、クラス会、京都嵐山厚生年金会館、2回ありました。その時、美空ひばり記念館に行き感動、偲びました。ひばりさん大好きです。カラオケ教室の先生がひばりさん専門でしたので私も習いました。私の声のトーンがひばりさんと同じと言われました。かなり昔、ひばりさんの妹の佐藤さんが、創価学会広島平和記念会館に来られました。いろいろ体験談話されました。お顔はひばりさんとそっくりでしたよ。歌も聞かせていただきました。とても、とても素晴らしい!なかでも【1本のえんぴつ】は、ひばりさんとそっくりでした。やはり声の質は姉妹です。あと、西広島の会館にて少しだけお話出来て握手していただきました。懐かしいです。🎶🎵ご健勝と🎶🎵ご活躍お祈り申し上げます。
    😢😢😢😢😢😢

  4. 機械的な解説表現の日本語の発言だろうけど、これはめったにないひどい読み方だねえ

  5. 雲雀さんも、妹さんの、話はあまり、されなかったですね?芸能界に、関係ないからですか?

  6. 美空ひばりの妹さん、京都へ来られた時、歌を聞きました。60代には、見えませんお若く見えました。歌はどこか、ひばりさんに、似ていました。

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