祝ドラマ化決定!(二宮和也主演、有村架純共演)『潜水艦カッペリーニ号の冒険』日本人になったイタリアの潜水艦乗り Raffaello Sanzio Kobayashiと伊号第五〇三潜水艦の真実 (後編)



Raffaello Sanzio Kobayashiに関する記事(イタリア語)は以下の通り

La rocambolesca storia di Raffaello Sanzio Kobayashi


http://www.regiamarina.net/detail_text.asp?nid=294&lid=2
https://irredentismo.forumfree.it/?t=11538286

カッペリーニ号の旅に関する日本語ブログ(Sonars Member Club)はここ

イタリア潜水艦カッペリーニ号の奮闘!数奇な運命!

戦争の狭間に取り残された人達 日本人になったイタリア人の潜水艦乗り Raffaello Sanzio Kobayashiと伊号第五〇三潜水艦(コマンダンテ・カッペリーニ)の数奇な運命 後編

すみません、この動画では「連合国」を「同盟国」と言い間違えています^^;どうか「大きな心」で見て頂けると助かります^^;

29 comments
  1. カンちゃん先生、こんばんは。後編が待ち遠しかったです。とても興味深いお話ありがとうございました。戦争中に国にそんな裏切り方をされるって本当にひどいですよね。小林Raffaelloさんが、幸せで穏やかな老後を送っていられることを心から願います。

  2. イタリアと日本はその様な関係があったんですね!
    中高と社会の時間が大っ嫌いで、だって先生は教科書を読んで箇条書きに黒板に書いて、それを生徒がただ移すだけだからなんにも頭に入らなかったわけなの!
    世界史も日本史も半分寝てました!(笑)

    カンちゃんのような先生だったら目を輝かせて聞いただろうなぁ~
    笑いが有り横道それるのも又いい!
    楽しいわ!

    我が旦那めっちゃ歴史に強いけど、カンちゃんから仕入れた情報を今や私が教えてるからね!(笑)

  3. 日本政府が同盟国のイタリア海軍軍人にたいして、恩給を日本人同様に支払ったことを知り名誉に思います。日本とイタリアの友好な関係が発展することを願います。カンちゃん色々教えてくれてありがとう!

  4. こんばんは、興味深い動画配信を有難うございました。
    ドイツから潜水艦で技術供与を受けたのは知っていましたが、
    イタリア海軍の潜水艦も来ていたとは!御見それ致しました。
    第二次世界大戦時のイタリア海軍はあまり知られてはいないが、
    実は世界でも屈指の潜水艦大国であった。
    これは時のイタリア海軍参謀長ドメニコ・カヴァニャーリ提督の
    戦略によるもので、1940年の開戦時には実に計117隻もの総数を誇り、
    ソ連に次いで世界で二位の潜水艦保有数だった。・・・スゴイ!😅
    ーーー
    「カッペリーニ」はベータソム基地に帰還すると、遣日潜水艦作戦に
    参加することとなった。日本へは機関銃の砲弾や新型戦車の青写真
    といった貴重な資材が搭載されていた。
    搭乗員らはシンガポールで束の間の休息を過ごしたが、そこで思いがけない
    イタリア休戦の知らせが届いた。そこで、「カッペリーニ」はドイツ海軍に
    拿捕され、「UIT-24」という新たな艦名が付けられた。船員の多くはRSI政権
    への忠誠を誓ったため、そのままドイツ海軍籍の「UIT-24」で任務を続けた。
    ボルドーの第12潜水艦隊扱いとなった「UIT-24」はボルドーに戻ろうとしたが、
    南大西洋に達したところで機関の故障が発生し、ペナン島に帰還し、
    修理のために神戸に向かうことなり、1944年6月6日、「UIT-24」は
    神戸にてドッグ入りとなった。1945年5月にドイツが降伏すると、
    「UIT-24」は日本海軍によって接収され、「伊号第503潜水艦」と名付けられ、
    「伊504」こと「トレッリ」と共に呉鎮守府部隊に配属となり、連合軍の本土
    上陸に備えた。その後、戦い続けた「伊503」は1946年4月16日、
    米海軍によって紀伊水道南方にて海没処分となり、
    その戦歴に幕を閉じたのであった。
    ーーー
    ※たしかに神戸で機銃掃射によりB25を撃墜したという記録があるようですが、
    トレッリ の方でしたね!😄、前回に続き、勉強になりました、カンちゃんの
    お兄さんに感謝でーす!では、またねー!(^_-)-☆
    <資料>
    【日本海軍】日本とドイツ間を唯一往復した潜水艦の実力と技術力に感動!
    https://www.youtube.com/watch?v=tUOd9Psnatw
    「潜水艦大国」イタリアの潜水艦隊の活躍 ―海の狼、出撃せよ!
    https://associazione.hatenablog.com/entry/2018/11/10/120149
    「潜水艦大国」イタリアの潜水艦隊の活躍・第二部 ―海の狼、再度出撃せよ!
    https://associazione.hatenablog.com/entry/2018/11/23/153736
    ルイージ・トレッリ (潜水艦)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%AA_(%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%A6)

  5. ルイージ・トレッリが神戸の米軍機撃墜に関係してるみたいですね。出典はイギリス人の歴史学者、Hedley Paul Willmott氏の2010年の著書「The Last Century of Sea Power」の第二巻だそうです。この本は米アマゾンのキンドルで売ってます。

  6. ありがとうございました。
    とても楽しみに待っていました。
    こうした1人の人間に焦点を当てた歴史の物語が世の中にはまだたくさん埋もれていますね。
    ラファエルさんのご家族の方がこれをもしも見たとしたらどんなに喜ばれることでしょう。
    そんな後日談もぜひ聞かせてください。

  7. 非常に興味深いお話、有難う御座います。戦後のラファエロさんの人生について、とても興味があります。奥様との出会いとか、そのお子様のこととか、またどんなお仕事をされていたのか、帰化の経緯など、そのインタビューで語られていれば、是非教えて頂きたく思います。ラファエロさんは烈士と呼ばれるべき方ですね。どこまでも節義を貫き通す人。そんな素晴らしい方について、もっともっと知りたいと思います。

  8. いつだったか・・・1990年代だったか・・・、あるイタリアのテレビが日本を取材していて、ある年配のイタリア人男性が日本に住んでいるということでその男性に、「なぜイタリア人が日本のようなところに住んでいるのか?」みたいな上から目線で聞いていたのを覚えてます。その男性は憮然として「イタリアは私を裏切った」・・・今正確に何と言ったのかは覚えていませんが、確かそのようなニュアンスで答えたと記憶しています。ひょっとしてその人だったのかと・・・

  9. 日伊関係の歴史で知識が増えました!面白いお話ありがとうございます。宣教師として日本に来て無念の死をとげたシドッチのことも思い出しました。また機会があれば日伊の歴史について教えてくださいね^^

  10. ウィキペディアの「ドーリットル空襲」の項に詳述されていますが、終戦直前でも直後でもなく、真珠湾の翌年の1942年4月にドーリットル中佐の指揮する B-25 編隊(16機)が日本各地を報復爆撃しまして、これが米軍による最初の本土爆撃のはず。ちなみに15番機が神戸空襲をやっています。

    米軍が未だ日本の島々を取れていない頃ですが、B-25 は双発の艦載機なので空母から発進できます。

    高高度を飛ぶ 4発の、ほとんど日本空襲専用機 B-29 が登場するのは、この初本土空襲より数年後ですね。

    この空襲後、燃料切れのため帰還できた機は無く、特に16番機は中国奥地まで飛んで不時着、日本軍に捕獲されたそうです。乗員が辿った運命は書きませんが、2001年のアメリカ映画「パール・ハーバー」をご覧になればわかります。

  11. ほとんど知られていない戦史を教えていただき有難うございます。月並みな言い方しかできませんが感動しました。カンちゃんもご存じのように、戦後の日本は、たとえ事実であっても、戦時中の日本側の立場に立って語ることが憚られました。負けた戦争の当事者である私たちの先祖も、日々の生活が大変だったこともありますが、積極的に戦時中の話をすることはありませんでした。そうした中で、多くは戦争の悲惨さと、戦前の日本への批判だけが繰り返されてきました。このことは、メディアや教科書など、基本的には今も変わっていません。ラファエロさんは日本人として後半生を生き抜かれたようですが、すっかり様相が変わってしまった戦後の日本社会においても悔しい思いをされたのではないでしょうか。何しろ、いまだに総理が靖国に参拝できない国ですからね。
    事程左様に、戦時の実相の多くが失われていると思います。特に戦争末期から敗戦、占領期の情報は、ディテールが操作されていたり、物理的に欠けていたり、軍事情報のために当時も公開されておらず、いまだに公開されていなかったりして分からなくなっているものが多いと思います。

  12. 8月15日の終戦の後も、米軍機は日本各地に偵察に飛来しています。8月17日には沖縄から”B-32ドミネーター爆撃機”2機が関東地方に飛来し、日本海軍の戦闘機複数機が房総半島から伊豆半島にかけて迎撃。結果、B-32の搭乗員1名が死亡、2名が負傷し、2機は沖縄に逃れました。この戦闘には撃墜王「大空のサムライ」で有名な坂井三郎氏も参加したとの説もあります。終戦後の戦闘ですが、戦犯などの責任を問われることもありませんでした。実際の敗戦日は9月2日のミズーリ号上での降伏調印式が正式な日付だからです。だから、8月22日の神戸上空でのB-25撃墜というのはあり得ないこともないと思います。

  13. ずっとイタリア三国同盟勝手に破棄して裏切りおった!と思っていたけど、こうして見ると結局は実際に命を懸けて国を守ろうと戦っていた現場の人間は何処の国も同じで、せめてこのラファエロ小林さんが奥さんと穏やかな余生を暮らし、日本人として生きて、ギリギリ階級や名誉を取り戻せて…どうだろう、本人はもうそんなの昔のことだと思ったかな?それでも年金を貰えたのは良かった。

  14. 戦時中に、イタリアと日本の間にそういう経緯があったんですね。
    ラファエロさんの身になって考えたら、どんなに悔しく、やるせなかったか…祖国を思って戦ってきたのに…絶望的ですよね。
    昭和天皇は敗戦後、マッカーサーに
    「自分はどうなってもいいから、国民の安全だけは保証して欲しい」と、述べられたそうです。A級戦犯として処刑される覚悟でおられた。
    戦争で失った命は戻らないけど、この陛下のお言葉は、せめてもの慰めに思えます。
    ラファエロさん、戦後の人生は、日本人の奥様と穏やかに幸せだったと思いたいです。
    カンちゃん、大変勉強になりました。ありがとうございます💕

  15. 最後の謎は探偵ナイトスクープの探偵さんに調べて貰おう(名案)

  16. とても勉強になりました。ありがとうございます。
    第二次大戦中の日本海軍とイタリアとの関係ですが、10年ほど前から気になっていたのが、広島県呉市にある大和ミュージアムの館外展示です。まず、敷地内に入ろうとすると、なぜかイタリアのボローニャにある有名な海神ポセイドン像(現地ではGigante, 巨人と呼ばれ、噴水の中央に立っていました)が設置されています。ボローニャの実物よりも横に広い(太っている)感じがするので、完全なレプリカではなく、模したものかもしれません。あと、道路を挟んで本館と向かいの建物の前に、潜水艦「あきしお」が展示してあります。どうして本館の前にイタリアのポセイドン像があって、その近くに潜水艦が展示してあるのかが気になっていたのですが、カンパナさんの動画を拝見して思ったのは、大和ミュージアムは単に海軍なので海神ポセイドン像を飾ったのではなく、ラファエロ小林さんなどイタリアの潜水艦の活躍を讃えているのかもしれませんね。以下のサイトにポセイドン像や野外展示されている潜水艦の写真が載っています。https://www.hitoritabi-ryokouki.com/2018/yamatomyu-jiamukure5.html

  17. イタリア人の目線の第2次世界大戦、面白かったです!
    日本史を他の国目線で聞くって、新鮮なものですね!!
    他にももっとやってほしいです。

  18. とても勉強になりました何故イタリアが連合国側についたのかが知れましたし、また戦後イタリアが
    共和制になった理由も(笑)
    この国王と将軍では・・・」ほんとうに末端の兵士は混乱の極みだったと想像できます
    あとムッソリーニはファシストで功罪あるけれど反共産主義という面でみればなかなかの人物ではないですかね

  19. 13:30 あたり、イタリア人極左記者のピオ・デミリアでしょうか?
    長年、反日活動してる人です。そういえば緊急事態宣言の会見だったか、安倍さんにも嫌な質問してましたわ。

    ラファエロさんのインタビューで「自分の子供を裏切る国家は愛される資格はない」

    ホントに重い言葉です。興味深いお話をありがとうございました。

  20. 1945年8月15日は、「終戦記念日」ですが、その日に戦争が終わった訳ではありません。その日は天皇による
    玉音放送が行われ、ポツダム宣言を受託するという意思を天皇が公表した日なのです。"本当の終戦記念日"は、
    1945年9月2日の、米戦艦ミズーリ号上で日本の重光外相が「降伏文書に調印した日」だと思います。ですから、その日までは、あちこちの戦場で小規模な戦闘が散発的に行われたのですから、8月22日の戦闘は、あってもおかしくありません。(最後の戦闘が終わったのは、9月3日以降だったと聞いたことがあります。)
    潜水艦の機銃で爆撃機を撃墜した、という話も信じ難いのですが、「何らかの理由で米爆撃機が超低空飛行をしていた。それを「攻撃」とみなして潜水艦が反撃した」「爆撃機ではなく、戦闘機あるいは輸送機出会った」ということが考えられると思います。また、ラファエロさんは、「意地でも祖国イタリアに帰りたくなかった」のでしょう。存命であれば、一度会ってみたい方ですね…

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