みなさま、いつも番組をご覧頂きありがとうございます。
今回は、南沙織さんの「17才」を歌わせていただきました。
是非ともチャンネル登録・高評価をお願い申し上げます。
引き続き、コメント欄からリクエスト曲もお待ちしておりますp(^_^)q
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23 comments
めちゃくちゃ良いです(^.^)
シンシアの デビュー曲
南 沙織の 歌唱力は、ハンパではない 味わいと、深さがある!
様々な意図を了解した上で、ご本人が強いてアップしないこともできたろうが、淡々と平常通りアップしたということは、その本意はあきらかだ。ご本人の主旨は明瞭だし、歌謡から政治的な主張を排しておられるのも理解されてる方々も多くおられるとも思われる。
それでも当日の件を避ければ不自然なので。やはり書かせて頂いた。
安倍晋三氏は、政治家として生きて、遊説中に政治家として凶弾に弊れた。
倒れたがご本人が真に政治家であったのなら本望であったかと思われる。
国民と民主主義が成熟していない以上、ありえたことであり、また使命といい、天命というものを全うする上で、民主の名にふさわしく、国民が主権を取り戻し、依存なり、なれ合いなり、甘えを排して、主体性を取り戻して、現状を打破していく上では、政治家とし安倍晋三氏にとっては本望であったろう。真に政治家であれば、あるいはご本人のお人柄からみれば、カリスマとして依存されることよりも、自らを要せずして諸事が打開されていることのほうが、望ましいとお考えになるかと察せられる。
あえて人を救ううえでは、過激になる傾向の方々をあげるが、水島総氏であれ、上島嘉郎氏であれ、三橋貴明氏であれ、藤井聡であれ、浅野久美氏であれ、あるいは身内、あるいはどれだけ理解しあっていても必ずいつかは死ぬ。この際は、吸収し、参考にし、いつでも変わりが務められるだけの、あるいはその真意を理解していけば、生命は必ず去っていくというシンプルな現実に対して真摯に向き合うことで、そのあり方、自体が、周囲に適切に作用するようになることも、去り行く当人に対して、もっとも適切なあり方をすることが可能になるやに思われる。可能になるということは、尊敬あるいは敬意、感謝、というものが、より身に沁みつくということであり、そのこと自体が、先に上げた、、水島総氏であれ、上島嘉郎氏であれ、三橋貴明氏であれ、藤井聡であれ、浅野久美氏等々に限らないか方に、作用する。
また、彼等であれば事と状況によっては、言論人生命や、政治活動性んうぃのリスクを自ら引き受けて、リスクを取るだろう。といった意識で、日々を過ごされるとよろしいやに思われる。これは本人のみならず、ということではあるものの、やはりこういった後悔をする方は多いのではないかと、思われる。この意味合でいえば、根無し草のような方々はやはりお気の毒であると思われるが、そういう方がへの在りようが、気の毒な方が気の毒でなくなる要素を併せ持つこととなる。世代間闘争、ギャップ、に対して、上辺の平安や、取り繕うことや、表層の和やかさでは、取り除けるものではないのであるが、自己理解によってなら、可能になる。
主旨が歌謡ではなく、歌謡を通じて何を表現されるかということであれば、おのずと、言語は洗練され、拍子は対応の幅が広くなり、表現は融通無碍になり、歌謡表現にはある種の万能性があらわれ、視聴者、ライブ参加者への影響は強くなる。また、本人への依存ではなく、表現による触発作用であれば、視聴者がなにがしかのおりに、自覚的、自律的に呼び覚まされる言葉や行動は、必然的に、周囲、家族、所属団体、市町村、国家、等々、を功利的、打算的にではなく、自他同然の公共性と公益性の為の行為となる。
いずれにしろ、ご本人にとって、いずれかの方々が明日いなくなったとしたら、ということを想起して、感情に蓋をしたり、世間一般の場合と同様に何事もなかったかのように振る舞い表層を装うよりは、感情とその根源に深く入り込んで、突き抜ける法がよろしいように思われる。表現は、様々でこういった場合、虚勢を張ったり、表面をとりつくろうのがもっともよろしくない。この機会を逸するのは天与の才を活かす上でがマイナスであるやに見える。死に甲斐が生き甲斐に通ずるという観点で、男性目線から安倍晋三氏をみれば、見事な生き方であった。これを多くの女性目線から見れば安倍晋三氏は可哀そう、であったり気の毒だったり、見えることもあろうけれど、ただやはり、可哀そうだから・・・同情する・・・という認識は、やはり安倍氏に失礼にあたる。復讐に燃えるのもまた、誤りで憎悪と怨恨の永久連鎖に陥り、また本人の心身の健康に悪影響が出る。この場合、御本人の自分のみならない影響を情緒あるいは、感覚知、またこれを言語化していくこと、観察していくことで、適切に諸般の周囲に対しても、不安、恐怖、によらずして、楽曲も人生もあるいはご家族をも味わいきっていけるようになると思われる。感受性と感受性を深め、調節し、言語化するというものはご本人を通じて、非言語表現と感性以前の認識と表現とが、政治的な指向性、世間的な立ち居振る舞い、等々・・・変換触媒としてご自身が自然と影響力をましていくように思われる。
等々と、なんとなく書き連ねたものの、個々の感慨は本人の為に個個に尊重されるべきではあろう。それにしても、天命や寿命というものがあるものの、安倍氏の逝去の影響を受けた方々が多くいる中で、極めて広範な意味合いで、ご自愛されたいと存じ上げる。恐らく言語化しないことで、醗酵、醸蘊、醸造、する必要もあるだろうから、仕事上や生活上でオフにすることはあっても、国家的損失とされる安倍氏と比して社会的にはミクロな、身内やペットについて思いを致す時間を要するやに思える。
さて、こういうことを書いたのは、あるいは追悼動画を拝見したせいかどうか、あるいは周囲の影響やや世間的な影響を軽減したいのか、いずれでもいいかという氣もする。
補記
恩送り
(おんおくり)とは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ること[1]。
概要
「恩送」という言葉は江戸時代の文献ですでに使用されているが、その意味は「おんがえし(恩返)」と同一だとされる[2]。
しかし、井上ひさしは「恩送り」が、誰かから受けた恩を、自分は別の人に送る。そしてその送られた人がさらに別の人に渡す。そうして「恩」が世の中をぐるぐる回ってゆくことを指しているとした[1]。この意味での「恩送り」は、親切をしてくれた当人へ親切を返そうにも適切な方法が無い場合に第三者へと恩を「送る」。恩を返す相手が限定されず、比較的短い期間で善意を具体化することができる。
こうした用例での「恩送り」も江戸時代から存在していた[1]。事実、『菅原伝授手習鑑』には次のような記述がある。
「(略)利口な奴、立派な奴、健気な八つや九つで、親に代つて恩送り。お役に立つは孝行者、…(略)」 (出典『菅原伝授手習鑑』「寺子屋の段[3]」)
また、「恩送り」と意味が相当程度に重なる別の表現が古くから日本人にはしっかり定着している。「情けは人の為ならず」というものである。「情けは人の為ならず」とは「情け(=親切)は、いずれは巡り巡って(他でもない)自分に良いことが返ってくる[4](だから、ひとに親切にしておいた方が良い)」という意味の表現である。「恩送り」や「情けは人のためならず」といったモラル・常識は、各地の人間社会が古くから持っている良識のひとつ。
ペイイットフォワード
別表記:ペイフォワード
英語:pay it forward、pay forward
ある人物から受けた親切を、また別の人物への新しい親切でつないでいくことを意味する英語。または、多数の人物が親切の輪を広げていくための運動のこと。アメリカ合衆国などで突発的に一つの場所で行われることが稀にある。ちなみに同一人物にお返しすることはペイバック(pay it back,pay back)というが、これでは2人の間で親切が途切れてしまう上、悪い意味でのお返し(復讐)の意図も含んでしまうことがある。
SayaさんのOriginal version ですね。南沙織とも森高千里とも違う「17才」でした。
こえにてる
寂しい世の中になってきました。
お元気で。
Well done! Bravissima!
帰幽された方への供養の為のいくつかー1
「帰幽」
神道の用語で、人は神々と祖先の恵によって現世(うつしよ)に生まれ生活をして、死しての後の御霊(みたま)は、幽世(かくりよ)に帰り、やがて祖先の御許(みもと)に帰りつくとされており、そこから「帰幽」という語があてられている。
孟婆
(もうば、拼音: Mèng Pó)は、中国の民俗宗教の神。忘却をつかさどる、地府(冥界)の女神である。生前の孟婆は、過去を振り返らず未来も考えずに一心に善行を行ってきた女性であった。姓は「孟」だが名前はわからないため、人々に「孟婆」と呼ばれた。孟婆は山に入って修行の末に道を悟り、神々の一人となった。その頃の人間は前世の記憶を持ったまま生まれており、冥界や天の秘密がよく漏れたため、天は孟婆を忘却の神とし、霊魂から記憶を消すための殿閣である「醧忘台」を築かせた。冥府の出入口には「奈何橋」という橋が架かっており、孟婆はそのたもとにいる。孟婆の仕事は、ここで転生前の霊魂をとらえ、前世や冥界での一切の記憶を消し、生前の因縁や愛情や憎悪や対立などを次の人生に持ち込ませないようにすることである。そのために孟婆は冥界の河畔で薬草を集め、「忘川河」の水を加え、酸・甜・苦・辣・鹹・澀・腥・沖の八味を混ぜ合わせたスープを煮立たせる。これを「孟婆湯」といい、飲んだ者は完全に記憶を失う。奈何橋を過ぎて冥界を離れる者は、必ずこれを一杯飲んでから転生しなければならない。まれに孟婆湯を飲まずに転生した者は前世の記憶を持ったまま生まれるという[1][2]。
冥銭
(めいせん)とは、副葬品のひとつで、金銭、または金銭を模した物。これらの副葬品は「あの世でお金に困らないように」や「三途の川の渡し賃」などの理由によって死者と共に埋葬や火葬などされるものである。ヨーロッパ等では硬貨を死者のまぶたの上や体に起き、あの世への通行料とする風習もある。
アジア圏
大英博物館所蔵品
陰間銀行(中国語版)が発行した冥鈔(中国語版)
中国、台湾、韓国、ベトナム、琉球の道教や仏教などにおいては、紙幣を模した冥銭(紙銭と呼ばれる)が用いられている[1]。紙幣あるいは紙そのものが一般的ではなかった古代には、土で硬貨を模造した泥銭を副葬していることもある(馬王堆漢墓など)。祖霊信仰の一種で墓前で冥銭を焚いたり、日本のお盆に相当する時期に祖霊への供物として軒先で焚かれる。沖縄県ではカビジン(紙銭)あるいはウチカビ(打ち紙)と呼ばれる、黄色い紙に銭形を押したものが一般的に用いられている。なお、これら各国の冥銭の額面単位だが、それらの国々の通貨単位が使われる一方で、中には米ドルを意識した「冥通銀行」券も見られる。
通貨を模したものは、実際の貨幣や紙幣とは明らかに違うデザインではあるが、これを焚くことで祖先の手元には、死後世界で通用する通貨となって届くと信じられている。額面も様々であるが、一般の通貨にはない大袈裟な数字が記されている場合も少なくない。これは別に死後世界がインフレだという意味ではなく、それだけ祖先のことを想い偲んでいるのだという気持ちの現れである。これらは束(札束)の形でも販売されている。西遊記においては、紙銭を頻繁に焚いていた老人が、あの世で資産家となっていたという描写がある。
日本
真田氏の家紋(真田幸隆の旗印)
六文銭を表しており「不惜身命」を意味する。
日本では、三途川の渡河料金として六文が冥銭とされることが多い(六文銭、六道銭)。過去には貨幣を直接使用していたが「文という貨幣単位がなくなった」「貨幣を意図的に破損すると罰せられる[2]」「火葬における副葬品制限で炉内に金属を入れることが禁じられるようになった」などの理由から、近年では六文銭を模して印刷した紙のものが使用される。死者は遺族によって用意してもらった紙製の冥銭を米や塩と共に小さな布製の袋に入れたものを懐に入れた状態で、棺に収められる。
こういった思想は、貨幣経済の発達に伴い、霊界のように死後に行くと考えられている別の世界でも貨幣が必要だという価値観念に伴うもので、日本における仏教では、現世と死後の世界の境界にあるとされる三途の川の渡し賃が最後に金銭を使う場であり、それ以降には必要ないとされている。これは現世である俗世界から、仏(欲望や煩悩の無い存在)になる死後世界へと移行する通過儀礼的な意味合いを含むものだと考えられよう。
また、六文銭は真田氏や海野氏などの代表紋に用いられた。
脚注
[脚注の使い方]
^ 柿沼陽平『中国古代の貨幣: お金をめぐる人びとと暮らし』(吉川弘文館、2015年)
^ 貨幣損傷等取締法では日本の貨幣を意図的に破損した者に1年以下の懲役又は20万円以下の罰金の刑事罰が規定されている。なお、外国貨幣や紙幣の破損については刑事罰はない。
関連項目
葬式
三途川 – 渡河料金として六文を支払うとされる現世と来世を分ける川。無賃の者は服をはぎとられることになっていた。
カローン – ギリシャ神話における現世と来世を分ける川の渡し守。渡河料金は1オボロスとされる。無賃の者は200年ほどあとまわしにされたという。
銭紋 – 一種に冥銭の六文銭を意識した家紋がある。
帰幽された方への供養の為のいくつかー2
残された人々の安倍晋三氏への、執着や、存念というものは、ご本人の魂を重くして成仏させない要素があるそうです。ですので、誰であれ、ご本人の生前に出来るだけのことをして差し上げておいた方がいいのですが、御本にの影響が国民への影響が大きすぎるので、供養の意味合いを込めて書いておきます。一期一会というのは、あるいはもう会う機会がなくても心置きがないように、ということかという氣もしますが、中々人はそうもいかないものでしょうが、日々の会合や会議、その他、再度の予定があるとしても、あとを引きずるようなことなく、きちんと完結させたほうがよろしいのかという氣もしています。引用元は最後に回しますが、一般的な場合にも適用されるので、ご参考に供します。
・ご本人の死後、3日間は、安倍さんに限らず、こちらが見えるそうです。意識で見えるそうなので、どう見えるのかはわかりませんが、そのおつもりで過ごしたほうがいいのかもしれません。
・現状で、ご本人に出来ることは、ご本人の好物や、あるいは書籍、食べもの、お金、お好みであった風景、などを送ることが出来るそうです。ご本人を強く念じて写真を燃やせばいいそうです。広告の写真や、パソコンでプリントアウトしたものでいいそうです。気になる方は、
・手紙を書くこと、ご本人の魂というか、情報次元で伝わるそうです。言い残しや、感謝、お礼や、決意表明されたい方は、手紙を書いて、強く念じて燃やすと伝わるそうです。ご自身の思い残しがないようにされる上でも、適切だと存じます。
※引用元
生まれ変わりの村1ー森田健著
中国奥地に実在する、前世を記憶する人が集中して誕生する「生まれ変わりの村」。
現地で著者・森田健自身が、2000年から7年間84人を徹底調査。
死んで生まれ変わった本人はもちろん、前世で生活していた家まで追跡取材。
人間がどうやって死んで、どうやって生まれ変わったかを一切の脚色なく、
リアルに収録した世界初の本の第一巻。
●死ぬ瞬間とは。
●あの世とはどんなところなのか。
●生まれ変わるまであの世で何をしているのか。
●あの世に地獄や裁きはあるのか。
●来世は選べるのか。
●生まれ変わる瞬間とは。
●前世の記憶が激変させるその後の人生観…。
一度死んで、生まれ変わった人の証言でしか分からない真実のデータの数々。
本書を読むと、今までの常識があまりに違っていたことに衝撃を受けるでしょう。
しかし、あなたはあなたのままでいいと気づき、
ゆるやかな人生があなたに流れ込んでくると思います。
「私は結婚して子供もいました。でも夫の暴力と虐待に耐えられず、大きなカメに水をいっぱい入れて、その中に入って入水自殺をしたのです。まず川を渡りました。あの世では知り合いとも会いました。自殺をとがめる閻魔大王のような存在はいません。どこかに籠もって前世を反省する場所もなかったです。あの世はけっこう快適なところでした。そして突然球のようなものに包まれたかと思うと、次の瞬間、赤ちゃんになっていました」(本文の取材記事より要約抜粋)
<著者からのコメント>
取材を終えたときは夕方の6時を回っていました。
車に戻ると頭の中は真っ白でした。死は終わりではありませんでした。
終わりになるどころか、物語はそこから始まっていました。
体験はあまりにもリアルでした。
死んだ弟が女性に生まれ変わって、前世の家族との再会を果たしました。
その、死んで生まれ変わった側と残された側の両方に、僕は取材することができました。
生まれ変わって再会することは幸せなのか、不幸せなのか。
その体験は僕の思考を超えていました。
しかも質疑の内容は、今まで本で読んだり、人から聞いていた話とはまったく違いました。
人は死ぬと、人生のパノラマを見せられて前世の生き方を反省し、
来世をどう生きるのかを計画して生まれてくると学んでいたからです。
放心状態のまま車に揺られ、空港がある街に戻ったのは深夜零時を過ぎていました。
(本文より抜粋)
84人の取材を終えて驚いたことのひとつは、前世で学んだことを今世に持ち越せることです。
・「前世はお金持ちの家で本をたくさん買ってもらえたので、その知識が持ち越されて、今世は勉強しなくても成績が良いです」
・「前世は大工だったのでその技術が今世に持ち越されて、何でも自分で作ることができます」<
※生まれ代わりの村 2
「死は別れではなかった」、
「あの世に裁きはなかった」、
「『スープ』を飲まなければ前世を忘れない」、
「また生まれ変われて嬉しい」。
魂の不滅を徹底取材で解き明かした「生まれ変わりの村」シリーズ第2弾!
前世を記憶する人が集中して誕生する「生まれ変わりの村」。
中国奥地に実在するこの村で、著者・森田健自身が、2000年から7年間84人を徹底調査。
今作では、第一巻で明らかにされなかった「あの世」の構造について新たな証言を得る!
取材例
前世は兵士でした。情報収集・通信関係のスパイをしていました。
二六歳のとき、革命の真っ只中、銃弾に当たって死んでしまいました。
死んだ世界では、スープをむりやり飲ませているところに遭遇しました。
私はスパイです。むりやり飲ませているということは、良くないことをしているのだと思い、そこから逃げ出しました。
これが『忘却のスープ』だということは、あとから知りました。
その後、七年くらいあちこち放浪していました。
でも放浪しているうちに景色がこの世にそっくりになってきました。
たぶんこの世に戻っていたのだと思います。
疲れると木の上で寝たりしました。
ある日、馬車が通りかかったので、その馬車に乗り込みました。
そして、ある家に着くと、私は生まれ変わっていました。
馬車が着いた家が今世の家で、その家には臨月を迎えた妊婦がいたのです。
質疑応答
「撃たれたときはどんな感覚でしたか? 痛かったですか?」
「撃たれた瞬間はもちろん痛かったですが、すぐに痛さを感じなくなりました」
「あの世では、食べたり飲んだりするのですか?」
「食べたり飲んだりはしません。でも、不思議なことにお腹も空きませんでした」
「馬車を操っていた人は誰でしたか?」
「今世のお父さんです」
「ああ、お父さんの馬車に乗った時点で、生まれる縁ができたのですね」
「そうでしょう。私は母よりも先に父に出会ったのです」
「スープがあったのは、この世の領域のすぐ隣のような気がしますが」
「私もそう思います。私が彷徨っていたのはたぶんこの世です。だからこの世とあの世は、隣同士だと思います」
(本文より)
このような取材が一切の脚色なくリアルに収録されています。
事例はそれぞれ独立しています。
第一巻の「続きもの」ではありません。
ところで日本でも同じような事例が集まりつつあります。
『忘却のスープ』は中国だけの特殊現象ではなかったようです。
我が青春のシンシア・南沙織さんの歌を歌っていただき、sayaさんに感謝感謝です!! あの時代を思い出し感慨に浸っています。
帰幽された方への供養の為のいくつかー3
・まだ生きている人達にメッセージを送ることはできますか?
これは普通の形では、できないようです。夢でメッセージを送った事例はあります。
あの世から「お金を送ってほしい」と、家族会議の夢に出てきたのです。
三日三晩で手きたので、家族は、お金を写真に撮って燃やしました。
すると、翌日から夢に出なくなったそうです。
・生きている人からのメッセージや贈りものを受け取ることはできますか?
贈り物は受け取ることが出来ます。
この世の人が、送りたいものを写真に撮って、送りたい人を思って燃やせば良いのです。
言えも送ることが出来ます。お金も遅れます。食べ物も遅れます。服も遅れます。
「気持ち」も同時に届くそうです。
引用元ー「生まれ代わりの村」と映画スープの世界
森田健著ー発行アクセスー販売河出書房新社、2012年、6月15日、第一刷
(P81ーチャプター3、スープに辿りつくまで)
・コラム 生まれ変わりの村のお葬式「明るく楽しいお祭り?」
僕は収穫を祝う祭りか、または結婚式だと思いました。
なにしろ、列の前にはトランペットの奏者、後ろには太鼓もあって、景気のいい音楽を流していたからです。一角までくると、踊りが中心となりました。ここまで楽しそうにお祭りをするお葬式は見たことがありません。その行列の中に、面白いものを持っている人画いました。なんと・・・テレビです。そして極めつけは、金庫でした。
メイドさんをかたどった紙をもっている人もいました。
トラさんから聞いた話によれば、未婚の男性が死ぬときれいなお姉さんの人形がたくさん登場するそうです。あるとき、女好きの中年の男性が死にました、友達は若いお姉さんの人形をたくさん作りました。でも奥さんがそれを見て、怒ったそうです。
この村のお葬式ですが、生まれ代わりの調査をしていなければ「なんて馬鹿なことをするんだろう」と思ったに違いありません。しかしこの村の人は、どこかで分かっているのです。あの世がこの世の延長であることを・・・。
「生まれ変わりの村1ー中国奥地、前世を記憶する村があった」ー森田健著
発行ーアクセス、販売ー河出書房新社、2008年7月4日第一版
※生まれ変わりの村インタビュー
・あの世に物を送ることができるか?
あの世には望郷台がある。
僕は聞きました。
「自分のお葬式を見たということですが、あの世からこの世はいつでも見ることができるのですか?」
「あの世からこの世を見ることができる場所があります。それは「望郷台」と呼ばれています。でも期限は3日間です。3日を過ぎると、その人は望郷台にはいれなくなります」
「この世が見えても、この世に戻ることはできないのですか?」
「はい、谷があってこの世を隔てています。谷の向こうがこの世です。声をかけても通じません。」
「この世はどういう感じで見えるのですか?」
「映画のスクリーンのように見えます」
「そのスクリーンはどこにあるのですか?」
「谷の手前にあります」
「竦リンには見たい人が写るのですか?」
「望郷台に自分が立つと、見たい風景が写ります。でもまったく関係ない人も映ったりします。昔会ったひとなのかもしれませんが・・・」
「(僕のひとりごと)故人の悪口は3日間は禁物だ・・・」
あの世に送金できる
「あの世にもお店はありましたか?」
「ありました、買い物もしました。あの世にもお金がありました。この世のものとは違います。紙幣のほかに金属でできているコインもありました。コインの色は城や黄色でした。でもこの世の通貨ではありません」
「あなたはどうしてお金を持っていたのですか?」
「死んであの世に行ったら突然紙幣と洋服が出現しました。それは親戚の物が個人に、いつも送っている洋服でした。だから紙幣も彼が送ったのだと思います。家や家具が送られてきた友達もいます。私には家は来ませんでした」
「どうしたらあの世にお金が送れるのですか?」
「この世で紙のお金を燃やすと、あの世のお金に換るのです。家具の絵や写真を燃やせば自然にあの世に現れます。あの世に出現する俊寛、誰が送ったか分かります。送った人の気持ちも分かります。しかし死んだ人に願いごとをしても届きません」
「この世と違うところはありましたか?」
「風景はこの世とそっくりです。でもちょっと不思議に感じたことがありました。昼間は道があるのですが、夜になると道が消えます。
・しんさいの時に僕がしたこと
あの世に物やお金を送ることができるという情報は、生まれ変わりの村を取材中に何度も耳にしました。今回は初めて実際にこの世から物を送られたと証言する人に会うことができました。彼の証言によれば、送った人の気持ちも同時に届くそうです。
2011年3月11日の東日本大震災の直後に僕は、プレハブ住宅の写真を燃やして送りました、子供のベッドやぬいぐるみも送りました。もちろん「生まれ変わりの村」の本の写真も燃やしました。この世で被災された人達は体育館などに寝泊まりしていましたが、あの世にいかれた方は、この世の人達よりも先に仮設住宅に入れたと思います。その後、炊き出しの写真を燃やしました。なぜなら、この世で生き別れになった人達と似た生活のほうがよいろ思ったからです。ところで、あの世に物を送るにはそれを写真意とって、燃やすのが大変でした。
そんなとき、生まれ変わりの村で、あの世に送るグッズを売っている露店を発見しました。そこではお金や洋服が印刷されたものが売られていました。その中に、市間の家や自動車などたくさん描いてあるものがあったのです。ああこれだと思いました。そこで、燃やしていた複数の写真を並べて、それをまた写真意撮りました。つまり家やお金や洋服を一枚の写真にまとめたのです。これで簡単に燃やすことができるようになりました。
(コメント者は広告と、コピーで代用した、お札の写真はPÇでプリントアウト可だと思われる)
2016年4月の熊本地震では次の手紙も燃やしました。
「僕は生まれ変わりを研究している森田健です。信じないからもしれませんが、建物の下敷きになってそこから脱出したあなたは身体に怪我は無く、痛くもないけど死にました。あの世には飲むと前世を忘れるスープがあるそうです。もしも記憶を持って生まれ変わりたければ、飲まない方が良いです。しんたことに落ち込むことはしょうがないのですが、そろそろ心をチェンジして、あの世を探検して欲しいです。あの世には太陽が無いそうです。水にぬれないそうです。他にも違いがあるか、是非調べてほしいです。さきほど家と食べ物とお金を送ったの僕です。数日後にまた送ります」
引用ー「生まれ変わりの村④」
第二章ーあの世に物を送ることができるか?」「震災の時ボクがしたこと」P37ー44
森田健著ー発行ーアクセス、発売、河出書房新社
2016年 11月1日、第一刷発行
変な理屈より、単純にこういう明るい曲がやっぱり好きです。
「二人の愛を確かめたくて すり抜けてみたのあなたの腕を」
なんかいいですね。こういう駆け引きも可愛らしくて。
声もぴったり。
歌ってやっぱり人を元気にさせてくれる。👏
帰幽された方への供養の為のいくつかー4(ペットロスの方、その他向け)ー1
生まれ変わる愛犬
P92
火葬になる直前、最後の面会の時間があります。棺が閉じられる瞬間に僕は言いました。
「フェルル、最後の命令だ!まだここにいるとすればアッチッチになるから、もうあの世に行きなさい。あの世のことはこの間話した通りだ。あの世からもこちらが見える時間帯がある。スープを飲まなければまた会える。さあ、行きなさい」
ーP106
犬があの世に行って文字を読めるかは不明です。でも気持ちが伝わるような氣がするのでえす。そして、次の手紙を送りました
「フェルルへ、生まれ変わる時、前世で一緒に暮らした家族が迎えに行く。だから他の家に換れてはダメだからね。命令だよ。我々が行くまで「待て」だからね」
ーP10~11
我が家にきた来いふんは尻尾をフリフリする感じから「フェルル」と名付けられました。
生まれて4か月のゴールデンレトリバーです。家族は犬を飼うのが初めてなので最初は戸惑いました。ー中略ー「回虫がいたとかそういうことはよくあることですよ。ダッシュしたりするのも子犬なら当然です。」と言われました。電話を切ってフェルルを見ると悲しそうな顔で見上げています。僕は家族に言いました。
「この子がうちにきたのも縁だ。頑張って面倒を見よう」するとフェルルは笑顔になったのです。
ー中略ー
フェルルは笑って出迎えるーP25~27
中国の生まれ変わりの村から戻るとフェルルは笑って出迎えてくれました。僕に対してだけではなく家族を見ると必ず笑います。ー中略ー大好きのぬいぐるみバーニーちゃんを持ってきて「これで遊ぼう」というかんじで僕の前に置きます。僕はそれを使ってフェルルと遊ぼます。
フェルルが食事以外で好きなもの、それはたもごボーロというお菓子です。ほんおすこししかあげませんが、大喜びで食べます。茹でたキャベツも好きです。僕が毎朝キャベツを茹でて食べているので、それを少しあげるのですが、フェルルは大喜びです。スイカも大好きです。それと南都、氷も大好きなんです。冷蔵庫を開けただけで飛んできます。氷もあげるとカリコリと食べ始めます。レストランもワンちゃんOKな店を探して入ります。するとフェルルはコップをじーっと見ます。なぜかというとコップの中に氷を発見したからです。お店の人に大きなスプーンをもらい、それで氷をすくってあげると大喜びでカリコリ食べます。コップの中に5個くり入っていても全部要求します。日本で3か月ほど過ごすと、僕はまた生まれ変わりの村に出かけていきました。
ー中略ー
引用ー「生まれ変りの村④」森田健著ーアクセスー発行 河出書房新社ー発売
帰幽された方への供養の為のいくつかー4(ペットロスの方、その他向け)ー2
・腫瘍ができても笑顔のフェルルーP44
フェルルが我が家にきてからすぐに13年の月日が経っていました。ゴールデンレトリバーは人間で言えば一年間で6歳から7歳ほど年をとります。ということは推定85歳です。体も弱くなり足には大きな腫瘍ができてしまいました。既に2度の手術を乗り越えて、足にできた血管周囲腫と戦ってきました。いや戦うという言葉はフェルルには似合わない、いつもニコニコ笑っていたからです。
ー中略ー
・液体窒素の治療に耐えた後も遊ぼうとするフェルルーP62
あんなに大変な治療なのに家に帰ってくると家族と遊びたがります。テラスからスリッパを加えてきます。その足は重くて重くてやっと歩いているという風です。でも徒をして家族から「外のスリッパを咥えてきてはダメでしょ」と言われたいのです。スリッパを取り上げて撫でてあげると嬉しそうに家族を見ます。その目は「治療、がんばるからね。でもそのあとこうやって一緒に遊んでね」と言っているようです。
ー中略ー
・最後のランチーP76
フェルルは亡くなる直前に一度嘘のように元気になりました。ー中略ーそのころはフェルルと少しでも一緒にいる為になるべく家で仕事をするようにしていた僕は、フェルルの長子がいいときはお散歩代わりに家族とゆっくりゆっくり歩いて大好きなカフェに行くのが日課でした。この日は本当に歩きっぷりも元気で、お店で幸せそうに寝そべって道行く人を流している人を見て「また一緒に食べにこられるようになって良かったね!」と話していました。ー中略ーその日がフェルルと一緒にご飯を食べに行った最後の日になってしましました。
フェルルはその最後の散歩の日の帰り道、みちにある、いつもの植物おところで立ち止まり、笑いかけていました。まるで「今までどうもありがとう。お花さんはずっと元気でいてね」と言っているように見えました。
ー中略ー
その日ーP84
フェルルは食事も食べられなくなりました夜はリビングにお布団を敷いてみなで一緒に寝ました。
僕がフェルルに近づくと尻尾を振りました。氷を持っていくとカリコリ食べました。すっぽを振るのも氷を食べるのもそれが最後でした。絶対に一人のときに逝ったらダメだよという家族の願いもちゃんと聞いてくれて、旅立つときはちゃんと家族たちに「フェルルいつも楽しかったね!ありがとう!!」という言葉を言わせてくれました。フェルルは家族ひとり一人を見渡したと思ったら安らかな顔になり、良きが静かになっていきました。その顔は幸せで、周りのすべてに感謝し「ありがとう」という言葉を返しているようにも見えました。快晴の日、フェルルは家族全員に囲まれて旅立ったのです。
ー中略ー
この世からあの世の愛犬に手助けする方法ーP105
僕はフェルルのために自宅、犬小屋、好物を写真に撮って燃やしました。もしも、これをしないとどうなるでしょうか?フェルルはあの世の雑踏の中で路頭に迷うはずです。知らない場所で孤独です。食糧も水もなければ、忘却のスープを飲んでしまうと思います。しかし、今までに住んでいた家が出現し、その中で生活できれば、まずはゆっくり休むっことができます。そして、ときどき外に出れば、散歩仲間だった犬に会えるかもしれません。仲良しだった犬なら、家に招き入れて遊べるかもしれません。そうすれば、次に生まれ変わるまでの間を、あの世で完全に快適に過ごすことができます。普通、残された人は、死んでしまった人やペットには、何もしてあげることができません。でも、生まれ変わりの村の情報を知っていれば、この世からあの世に助力の手を差し伸べることができるのです。燃やす時にフェルルを意識すればよいらしいですが、写真尾うしろに「フェルルへ」という宛先も書きました。これで確実性が上がるそうでうす。あの世には集配所のような場所があり、宛先不明で送られた物品もつまれていて、それを勝手に取りに来る人もいるそうです。宛先不明というのはもしかすると生まれ変わ手しまった人かもしれません。
時々絵葉書も送ります。表面には家族の写真が載っています。これを見れば家族から来たというのが一目瞭然です。裏には大きく、「フェルルへ、スープを飲むな」と書きます。犬があの世に行って文字を読めるかは不明です。でも気持ちは伝わるような氣がするのです。
そして、次の手紙を送りました。
「フェルルへ、生まれ変わるとき、前世で一緒にくらしていた家族が迎えにいく。だから他の家に買われていってはダメだからね。命令だよ。我々が行くまで「待て!」だからね」
ー中略ー
妻の夢にも現れたーP122
12月も押し迫った頃、フェルルが妻の夢に現れていったそうです。
「もうすぐ生まれ変わるから探して!」うっすらとブリーダーの家も見えたそうです。三角屋根の家です。もうこの時点で名前も決めました。フェルルの新しい名前は「リボン」、英語の「reborn」から取りました。つまり、生まれ代わりそのものを名前にしたのです。夢に触発されてネットを検索したら三角屋根のフリーだーが出てきました。子犬が産まれたということも書いてありました。生まれ変わっての再開のルートに乗ったtと感じました。もちろんそのブリーダーに予約を入れました。
僕は三十二ドキドキでした。フェルルの生まれ変わりに本当に会えるのか?僕の占いは当たるか?妻の予知夢は現実化するか?ケージに近づくと奥から赤いリボンをつけた子犬が飛び出してきました。尻尾をブンブン振って僕達に猛烈にアピールをしてきます。ほかの子犬をだきあげようものならヒーヒー言って抗議します。犬がこれほど猛烈に抗議してくるのを見たことはありません。でもフェルルの生まれ代わりだとすれば、この一瞬が勝負でした。これにはブリーダーさんもびっくり。「よっぽど森田さんの家に行きたいんですね」と言ってくれました。僕達は選ぶ必要なんて、まるでなかったのです。普通、子犬を決めるときはどの家族も長い時間をかけて迷って決めるそうですが、僕達は即決!!抱っこして記念写真に納まるとき、赤いリボンの子犬は本当にホッとして、やっと落ち着いたって感じでした。胸の中で「クークー」と甘えて鳴いています。
引用ー「生まれ変りの村④」森田健著ーアクセスー発行 河出書房新社ー発売
帰幽された方への供養の為のいくつかー4(ペットロスの方、その他向け)ー3
我が家に来たリボンは・・・P151
リボンが我が家に来たのは生後54日目でした。
新しい家に来たばかりの子犬は母親が恋しくて夜泣きをすることが多いというので、ブリーダーは、母親のにおいのついたタオルを持たせてくれかしたが、そのタオルを使う場面はまったくありませんでした。家に入るやいなや、ある場所に走っていきました。そこは、フェルルのために水を置いてあったところです。なぜ知っているのでしょう?リボンは水を要求している風です。僕達はフェルルが使っていた水飲み器に水を入れて起きました。すると長距離ドライブで喉が渇いたフェルル、いやリボンは美味しそうにその水を飲み始めました。
玄関のチャイムの音に対する反応
リボンが来た翌日のことです。玄関のチャイムに反応したのです。そんなの当たり前でしょうといわれそうですが、我が家のチャイムは玄関と反対側にあるキッチンでなるようになっています。それにも関わらず、チャイムが鳴ったとき、音のするキッチンではなく玄関に通じるドアの方にすっ飛んでいったのです。玄関から人が入ってくるというのも、リボンは未経験なのにです。チャイムと玄関の関係を初めから知っていたとしか考えらえません。
氷が好き
最初から「氷が大好き」だということです。リボンが来た翌日のことです。冷蔵顔から氷を出そうとしました。すると、リボンが飛んでくるではないですか。小さい内は氷は身体にいけないと思いその日はあげませんでした。そして、その翌日も僕は冷蔵庫をあけて氷を出そうとしました。すると、また飛んできました。変ではないですか、一度もあげてないのに・・・。そして氷をあげるとカリコリと食べたのです。フェルルは確かに氷が大好きになりましたが、カリコリ食べるまでに数日かかったのにです。
診療代でブルブル震えるリボン
最初の献身に連れていきました。リボンは診察台に乗るなりブルブルと震えだしていました。おかしいではないですか、だって、獣医さんも初めてだし、診察台も初めてのはずです。乗せられただけでまだ何もされてはいけません。これからお遊びが始まるかもしれません、しかし、寒さに震えているかのような震えかたです。顔もあの時とそっくりです。僕は心の中で言いました
「フェルル、もう生まれ変わったんだよ。腫瘍は無くなったんだよ」と。
前に住んでいた家の玄関に入っていこうとした
僕達はフェルルが亡くなる一年半くらい前に現在の家に引っ越してきました。つまり、リボンは前の家を知りません。以前住んでいた家はあるいて5分ほどのところにあります。
予防接種等も済み、リボンの散歩が開始され、その家の近くを通ったときのことです。リボンは突然ものすごい力でリードを引っ張り、駆け出していきました。
その家は門扉がなく、引っ込んだところに玄関のドアがあるのですが、ほとんど飛び出込むようにドアのところまで行き、お座りをして、「ここだよね?」というように振り返って、僕を見上げたんです。このときは、思わず「お前はやっぱりフェルルなんだな」と声に出して言ってしまいました。妻が散歩に連れ出したときも同じように走りだし、鳥肌が立ったそうです。
フェルルの死後、僕達はあの世のフェルルに食べものやら手紙を毎週送っていました。それに対して、フェルルから何か返事があったわけではありません。でも、もしも僕がペットなら、飼い主から何かが送られつづけていたら、嬉しいと思います。そして、できればその家にもう一度行きたいと思うでしょう。
あの世に手紙などを送り続ければ、円がきれにくくなると思います。リボンの生まれ変わりの兆候が、本当かどうかは分かりません。でも、その可能性を見ながら生活するのは、単に普通のペットが来たときよりは茂樹があり、楽しいです。
リボンは人がリビングに入ってくるのを扉のところで待っているだけじゃなくて、誰かが部屋から出て行く時にも、かならず扉のところまで追いかけていって、細いガラスのところからずっと見送っています。その姿を見ていると、フェルルのときに一度、家族との別れを経験したから、二度と別れたくないって思いがあるのかなあなんて思ったりします。
引用ー「生まれ変りの村④」森田健著ーアクセスー発行 河出書房新社ー発売
2016年11月1日、第一刷発行
四十歳の、女が、十七歳を、かいこする、それも、若返りには、いいこと、、、
感想に変えて
自然が人間を作る 作品が自分自身を創る
自然における森羅万象とつながっていくことは、人間の生命力がどんどん強くなっていくことではないか、そんな感じもしています。森羅万象イコール人間の一つの土台ということです。
「人間=宇宙」と考えるなら、森も自分の中の一部、空も、海も、自分の作品も、自分の友達も同じ自分の中の一部です。この世界の嫌な側面である社会が壊れていること、戦争や紛争が絶えないと言うことも、自分の中の壊れた部分として反映され、つながってくるわけです。言い換えれば、自然が人間をつくるということであり、作品が自分自身を創る、人間を作り出すということです。
そう考えると、ある大きな全体性が見えてきます。人間と自然との全体性がかなり深く、奥深くつながっているとわかるわけです。起きているあらゆることが、未来と繋がっている、ということはつまり、現在の自分自身を変えることによって、未来も変えられるのではないかということにもなるわけです。自分の現在のことすらも変えられないと、未来も過去も変わらないともいえます。。人間はとても不思議なもので、現在の姿、現在の精神性を変えてしまえば、過去のものと未来のもののすべて、それまでとは違うように見えてくるのです。
あとはその循環です。一つのユニークな循環、非常に不思議な循環です。あるいは解明できないようなダイナミックな循環性が秘められているのです。それが次の次元、新しい次元の社会、新しい意識の世界に入っていくためには、人間の考え方をいろいろな手法やプロセスを駆使してそこに到達できるよう、さまざまなチャレンジをしていく、ということが重要だと思います。人間はみんな違うわけですから、すべて同じ方法で通用するとは限らない、けれどもその中には大きな共通点はいくつかあるはずです。
作品の感性というのは「あとの祭り」~作品の魂はプロセスに宿る
あらゆるものを自己統合から入って、さらにそれを表現尾作品の形にしたときに、作品になった時点でそれは、統合アートの作品になっていくわけです。統合アートの作品とは何かという問いはまた別の問題ですが、それはそれとして、私が強調したいのは、その表現された作品の中にさまざmな意識が含まれているということ、それが「統合」という意味なのです。その作品自体は、色々な要素ーたとえば、想念の力、考え方の力、空間の力、さまざまな人達のエネルギーといったものが集まって、完成します。これが、一つの統合アートの作品の在り方と考えられます。
精神的な喜びといったものっや、純真樽エネルギー、それらを自分が感じ取ったときにつくったものが発する力は、その「自分が感じ取ったもの」のように相手にも伝わります。それがとても重要なことだと思います。ニセモノ、議選的なものを作品の中に入れ込んでも、相手には伝わらないと思います。邪道的なものが入った作品は、作品としては美しくなる場合もあるかもしれません、しかし、その美しさをつくる段階に入っている「意識」と「プロセス」のほうがより重要です。完成版の形だけが重要なのではなく、ゼロからのプロセス、作品が出来上がるまでのすべての統合的な意識がそこにあること、そのことが極めて大切です。プロセスをすべて大事にするのが、そこまで含んで初めて一つの統合アートの作品が生まれるから人生を人生を。
完成したものや、結果だけではない、というより、ほとんどのアーティストたちは結果よりも、プロセスにおいてつくる喜びを感じるかどうかのほうを、題字にしていると思います。つくっているときに喜びがあるかどうか、制作をする過程に「つくる喜び」があるかどうかというのは、とても大きいことです。そういう視点に立てば、完成というほな、「あとの祭り」ともいえます。実はそんなに重要ではないという考え方がありうるでしょう。
ですからプロセスを大事にし、統合的に全体的にまとめていかない作品は出来上がっても中途半端な姿になってしまし、そこには力が宿っていません。地からというのは、魂的なもの、あるいは心が宿っていないという意味です。心がこもっていないとも言えます。アート表現は霊的な暗示であり、夢と希望の暗示でもあります。
「光と風のクリエ」ー金大偉著、和器出版
第二章 映像表現
自然が人間を作る 作品が自分自身を創る
作品の感性というのは「あとの祭り」~作品の魂はプロセスに宿る
P389ー394
認めてくれる人に出会う
自分を認めてくれる人と出会うこと。
特に力のある人に認められるということは、
より大きくはばたくための翼を手に入れることと同じです。
「性霊集」
付き合う人を選ぶ
創造や工夫のできる人、新しい方法を提案できる人、
困難なことを乗り越えられる人。
そういう人との関りを大切にしましょう。
新しい風をもたらす人と付き合うことで、
自分も新しい何かに打ち込むことができるようになります。
「性霊集」
信頼に値しない人
何かをやる前から「できない」と言う人は信頼に値しません。
「性霊集」
役に立たない人
政治と経済に関心を持たない人間が、
現代において人の役に立つことはありません。
「十住心論」「秘蔵宝論」
人生を無駄にしないために
自分が貢献できる人、役に立てる人を見極めましょう。
自分が役に立てる相手と突きあwな愛と、人生は無駄になります。
「十住心論」
才能に気づいてもらう
物事の本質を見極め、人の才能に気づく力を持っている人がいます。
では、そういう人に出会う為にはどうすればいいでしょう。
答えはシンプル。
思い入れを持って一つのことを地道に誠実に続けていくことです。
「般若心経秘鍵」
評価は必ずされるもの
自分の信じた道を着実に歩んでいれば、
評価してくれる人は必ず現れます。
いつまでたっても現れないとしたら、
どこかで手を似たり、途中であきらめてしまったりしているせいです。
「般若心経秘鍵」
本気の力を出し切る
「真如、外に非ず、身を棄てて何にか求めん」
身を棄てるー。
つまり、自分のすべての力を出し切って生きる、ということです。
自分の力を出し切ったときいじょうの深い満足感が得られることは
人生においてきっとないはずです。
本気を出し、さらに本気度の高い人々と一緒に生きていく。
そういう人たちが増えれば、社会はもっとよくなるに違いありません。
「般若心経秘鍵」
待つことを知る
成功するか失敗するかは、
人と説きがうまく一致するかしないかに関わっています。
自分の行ったことに対する結果はいつになったら出るのか。
それをどんなに知りたいと思っても、焦りは禁物です。
待つことを知らない人は、勝つことも、悟ことも、
気づくこともできません。
マツコとができず、結果を急いでしまうと、
本当は成功を九割方手に入れているにもかかわらず、
失ってしまうことになります。
チャンスが訪れるまで、自分を高め、鍛えながらまちましょう。
待つことそのものが、成功を手に入れるための準備なのです。
「性霊集」
良き師とは
自分の才能を伸ばしてくれる人、
その人こそが良き師です。
間違った社長のもとで働くのは、
人生を台無しにする元です。
「性霊集」
Sayaさんは私の好きな曲ば
かり歌ってくださいます❗
ありがとうございます。
あれから、たくさん年を
とってしまいました。
ok
少し照れながら歌う、sayaさんの17歳、良いです!
「潮風のメロディ」もお願いできるなら?
17の夏….ガキの癖に涙しておりました。 よろしくお願い致します!