私はコロナ以後、結構兄とカラオケに行って目の前で歌っているのに、つい最近まで私の歌が信じてもらえていなかったことに驚きました。そこで、私はひとつ仮説を立ててみました。兄は自分の目よりも、まわりの大多数が本物と言ったら本物で偽物と言ったら偽物という結論を下すのではないでしょうか? からの、ひょっとしたら怒られることを書きます。
以前私は小林よしのり氏の本で、日本が戦争の時に戦場で大きく負傷した兵士が帰国すると国民は軍神として崇めましたが、日本が敗戦すると軍神と崇めていた兵士をとたんに冷酷に扱うというのを読みました。その前後で日本国民は何かしらの信念を持っていたのでしょうか? 周りが軍神と言っている間とその後の変化の時に、大多数に紛れ込んでいないと自分が差別されてしまう恐怖があるという信念かも知れません。
と、何故こういう事を書いてみたかというと、最近YouTubeで外国の方が、差別をしてくる国の1位はどう考えても日本だという動画を見たからです。ひょっとしたら、その外国の方が見た日本の差別の中身は信念無き差別かも知れません。と言うことは、日本は平和と言っていますがその中身は、周りと同じ事を言わないと差別されるから平和と言っている信念無き平和とか、そんな事を言うと日本人から差別されるのでやめましょう。