サツキソラ 主演:清野菜名



主演:清野菜名
サツキが目覚めると そこは知らない部屋…? 部屋? 「ソラ」と名乗る 何だかが1人…? 1匹? 1体? 「君を誘拐した」という。 何もしてこない。 何も要求してこない。 ゴハンを勧めてくる。 逃げようと思ってもどこにも行けない? 同じ場所。同じ景色…? なんなの…? 何なの、これ…?

公式ウェブサイト:http://satsukisora.jp

6 comments
  1. まかない荘で清野菜名さんをはじめて知りましたがこの作品で彼女の素晴らしさを更に知りました。更に活躍していただきたいです。

  2. 揷入曲 'はじめまして,さようなら.'
    これはどこで聞けますか?
    i want to hear that song,please

  3. なんかあまり物語の内容を深く理解出来なかったけど、凄く綺麗で、好きな雰囲気だなあ

  4. 『サツキソラ』…… 今日ほど、ありふれた日々の日常が懐かしく、有り難く、また貴重なのかを思い知らされる時代はないのでは、と思われます。明日も、今日と変わらずに平安であればと思う日々です。
    このフィルムは、そんな想いを他所(よそ)に、”百年一日“ごとく変わらぬ日常の枠を超えて、何か新しい明日への脱走を夢見る一人の主人公の女・サツキ(清野菜名)の内面の葛藤を、美しい映像のレトリックを介して可視化した「ソフィの世界」の物語です。誰でも、碧い海や広い空を見ると、そのムコウ側に何があるのかを知りたいと、また行ってみたいと想うのと同じように、明日が今日の連続ではなく、そこに何か新しい世界が広がっているのでは………と想像の翼を広げたくなるのも自然な想いではあります。そんな想いが、人間の様々な発見や進歩を後押ししてきた経緯も無視できません。
    この物語では、一人の女の内面に棲みつく、「明日への脱走」を夢見るサツキ(A)と、彼女を安楽な日常の枠に留め、その空間に誘拐・幽閉して(A)の足を引っ張るソラ(B)(もう一人のサツキです)とのココロの会話によってストリートは展開して行きます。ソラは、サツキのココロの分身であり、敵でもあります。サツキは、(B)によって誘拐された(と思っている)「日常」という部屋からの脱走を何度も試みます。しかし、ソラは一度も追いかけてはきません。ソラは、この部屋が「サツキが望んだ世界で、ここから(本気で)脱出する気がないこと」を知っています。サツキは、結局、脱出できずに部屋に戻り、(B)に誘拐されていると思い込んでいるサツキは、「私を帰らせて」と懇願します。(B)の誘拐目的が「お金」でないことを言っても、サツキは困惑するばかりです。その「誘拐」が、自身の、見知らぬ「明日」への好奇心をシバル、もう一人の自分の「安住思考」であることを、サツキも薄々気づきはじめているようです。サツキは、「世界の広さなんて知りたくないけど、どこかに行きたかった。この空が、どこまで続いているのか……。」を知りたかっただけなのでした。その後、ソラは、何らかの事故かで死にますが、サツキが殺した可能性も否定しきれません。そうして、サツキは、「今日」とは違う新しい「明日」を手に入れます。ソラが消えて、一人ぽっちになったサツキは、淋しさから「一人にしないで」と叫びます。ソラは、「君には戻る場所がある」、「何時か、必ず会いに行く」と約束します。サツキは、その新しい明日が、{何もない間(ハザマ)}であることにヤット気付きます。ソラは、そこで、ウソの星が輝き、イツワリの月が出て、デタラメの太陽が昇って、カリソメの明日が来たらサヨナラする、と言い残して行きました。それは、ソラから見た、人工的な「新世界」の象徴とも考えられます。サツキは、「誰もいないところに行きたかった」、「神様、(ソラを)イラナイと言ってないヨ。この別れを、精一杯笑って終わりたかった」と言ってソラを送りました。果たして、ソラを亡くしたサツキの新しい「明日」はどのような世界だったのでしょうか、気にかかります。「安住」と、今日を乗り越える新しい「明日」への脱出は、人間社会にとっての普遍的な『二律背反』問題で、サツキという一人の若い女性に背負わせるには大きすぎる難問でした。しかし、サツキは、見知らぬ「明日」へと翔び出しました。それが、単なる好奇心からであれ、勇気ある飛翔であれ、新たな一歩を踏み出したのです。願わくば、そこが幸多き安住の世界であることを、と祈らずにはいられません。

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