皆様、こんばんは。「昭和の歌姫100人を歌う」No.059です。今回は地元、名古屋市出身の歌姫『石川ひとみ』さんです。石川ひとみさんは、1959年〈昭和34年〉9月20日生れの、現在64歳ですが相変わらずキュートな美貌のままです。名古屋市生まれで、昭和34年と言えば、9月26日に伊勢湾台風で甚大な被害が出た年でした。東海地方に上陸する直前に誕生し、騒々しく台風が通過する中もすやすやと眠っていたそうです。
小学6年生の1972年3月19日にCBCテレビののど自慢番組『どんぐり音楽会』で南沙織の「潮風のメロディ」を歌って準優勝し、初めてTV番組に出演しました。
ちなみに、私も幼馴染の女の子と、この番組に出場し、審査員特別賞を貰いました^^
高校2年生の11月頃に渡辺プロダクションの新人歌手オーディションを勧められ、合格。
そして名古屋に来たディレクターに勧められて出場したフジテレビ系オーディション番組『君こそスターだ!』でチャンピオンとなりました。
1週目で岩崎宏美の「ドリーム」を歌いましたが、歌詞を間違えて「ごめんなさい」と叫び収録が中断されました。
しかし「歌詞を間違えた出場者は君が初めてだよ」と逆に審査員に好感を持たれ、
その後『君こそスターだ!』では7週勝ち抜いてチャンピオンになりました。
この結果を受けた渡辺プロから「まだ歌手になれるかは分からないけどうちの新人班に所属してはどうか」と打診され、
1978年3月、高校卒業の3日後に上京して渡辺プロの寮に入寮しました。
同時期の入寮者に桑江知子、松原みきがいます。
1978年5月25日に、「右向け右」でアイドル歌手としてデビューすると、
全国58大学で構成する全国ビューティ・オール学生協会から「’78マスコット・ガール」に選ばれるなど、
デビュー当時から容姿と歌唱力が高く評価されて大学生を中心に大きく支持を得ます。
1979年から1982年までNHKの人形劇『プリンプリン物語』で声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、
同局の歌番組『レッツゴーヤング』では太川陽介と司会を務めました。
しかし、1981年、それまでヒット曲に恵まれず「中途半端なままで活動を続けたくない」という意志から
これを最後の曲として歌手をやめるつもりだった11枚目のシングル「まちぶせ」が好評で販売枚数も多く、
キャンペーンで全国を巡りながら「歌の楽しさを思い出して、辞めるのはやめようと思ったそうです。
「まちぶせ」は長期間ヒットチャートの上位にあり、次のシングル曲として予定されていた「にわか雨」の発売見通しが立たず、
にわか雨の時期を過ぎたこともあり発売を見送り、代わりに「まちぶせ」と同じく三木聖子のカバー曲である「三枚の写真」を発売しました。
1981年に『NHK紅白歌合戦』に初出場しました。
1982年2月にN.S.P.の天野滋による「ひとりじめ」、5月に「君は輝いて天使にみえた」を発売し、ファンから評判が高かったものの販売枚数は多くありませんでした。
1983年9月に、露出度が高いグラビア写真を雑誌『GORO』の衝撃館で発表。その他、『写楽』や『プレイボーイ eyes』などでもセミヌードグラビアを公開し、1984年11月にヌード写真集「心変わり」を発売しました。
1987年(27歳)に初めてのミュージカル「はだかの王様」で主演するも、公演まで1週間を切ったリハーサル中にひどいめまいに襲われます。
病院で診察を受けるとめまいとは別に、B型肝炎を発症していることが偶然判明し、急遽入院することになりました。
退院後に渡辺プロダクションと契約が破棄されて芸能界を退いたが、1988年に活動再開しました。
本人の場合、母子感染でB型肝炎のキャリアになったが、この頃から本人にとって病気への誤解と偏見による辛い日々が続きました。
最も辛かったのは、病気公表後からしばらくは街なかで握手を拒まれたり、通っていた水泳教室で「同じプールで泳いだりすると病気がうつるから教室を辞めて下さい」と言われたことだといいます。
1993年(34歳)、ミュージシャンでデビュー以来バックバンドを務めていた、作・編曲家の山田直毅と結婚し、
結婚式は挙げなかったがその代わりに夫婦でベルギー旅行に行きました。
その後、1997年から2年間NHK教育『母と子のテレビタイム』に出演するなど、ファミリー向け活動を展開しています。
その後は、エイズや肝炎に関する講演活動も取り組んでいて、闘病記には『いっしょに泳ごうよ』(集英社)があります。
2023年8月23日放送の『徹子の部屋』の番組内で、11年前から指定難病の1つであるシェーグレン症候群と闘っていることを明らかにしました。
2015年末から浅草のアミューズ・カフェ・シアターでアイドル時代のオリジナル曲を中心とするライブ活動を開始しています。
懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。
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現在、僕や歌のパートナーの新二郎さんの大切な歌仲間であり大先輩でもある女性が癌と闘っています。
僕達は医師ではないので、彼女に対して出来る事に限りがあります。
そこで新二郎さんと相談して、お百度参りの代わりに、
「昭和の歌姫100人を歌う」と題して僕はPOPSと歌謡曲、新二郎さんは演歌を中心に、
昭和デビューの女性ボーカリストの歌を100人カヴァーし、彼女の完治を願いたいと思います。
癌の治療はとても辛いですが、現在の医療はかなり進歩しています。
どうか一日も早く完治しますように。
昭和の歌姫たちの懐かしいディスコグラフティーと共に、お聴き頂ければ幸いです。
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初めて聴いてくださった方へ。
改めまして、はじめまして。伸(nobu)と言います。
私のページに来て下さり、有難う御座います。
僕はもう10年以上前になりますが「喉頭癌(声帯にできる癌)」を患い、声を失いかけました。
その1年前に初めての癌を患い、再発からの転移でした。
定期健診を欠かさなかったお陰で、初期の段階で見つかり、
すぐに処置をして頂き助けて頂きました。
しかし、暫くの間、歌うどころか喋る事すらままならない状況になりました。
当時の私は、喋る事も仕事の一つだったため、
それはとても辛く悲しかったです。
もしかしたら、もう「声」と言うものには頼れないのでは?
そんな思いを持ちました。
声が出せなくたって目だって見える。耳だって聞こえる。
体だって自由に動く。
何だって出来るじゃないか!そんな風に自分に言い聞かせた時もありました。
医師の「ある程度までは声は戻るよ」と言う言葉を信じ
喉を使っても良いと言われてからは、リハビリをして
毎日、家の近所の日の落ちた船着き場に車を止めて
大好きな中島みゆきさんの曲や、徳永英明さんの曲を聴きながら声を出す練習をしました。
思うように声が出なくて悔しくて泣いて車を叩いた日もありました。
誰にも聞かれたく見られたくなかった。
だから車の中は僕のリハビリ室でした。
その甲斐あって、医師も驚くほど回復し、
現在では喋るだけでなく歌う事も出来るまでになりました。
確かに、以前の自分の声ではなくなりましたし
今でも1曲全てを声もかすれずに歌う事は難しい時もあります。
でも、大好きな歌が歌えます。
友人の医師達や支えてくれた周りの人達に心から感謝をしています。
そして無理だと言う僕に、何度ももう一度歌おうと強く勧めてくれた大親友にも!
そして2013年7月にまた、新たに疾患が見つかりました。
とても症例の少ない難病だと告げられ、同年10月には障害者となりました。その為、定期的に入院生活を強いられています。
明日はどうなるか解りません。
「負けたら終わり ではなく あきらめたら終わり」
「笑って生きるも一日、泣いて生きるも一日、どうせなら笑顔で」
この二つは私の座右の銘です。
世の中には、色んな病や悩みなどと闘っている人達が沢山いると思います。どうか諦めないで下さい。
私は大好きな歌を笑顔で歌ってここに載せて行きます。
ここには沢山の歌の上手な方々が掲載されています。
私の歌はその方々には程遠いものです。
でも、歌えるようになりました。
良かったら聴いてみて下さい。
そして何かの切っ掛けにして頂けたら嬉しいです。
ありがとうございました。
5 comments
ご無沙汰です!今回は〜石川ひとみですね!1番好きな楽曲は〜恋〜です!
詩がなんといっても好きです!カラオケに行くと小柳ルミ子心のライム.ライトが入っているのて彼女の〜恋〜の詩で良く歌います!今も頑張って歌っていますね!声も思えずに素敵ですね!
石川ひとみさんは明確に記憶に残っているアイドルのひとりですが、覚えている曲は”まちぶせ”だけだなぁ~と改めて思い返しています。当時TV出演も多く(と記憶しています)大活躍していたというイメージがあるのですが、オリコン上位(6位)は”まちぶせ”だけ。少し記憶に残っている”くるみ割り人形”も最高42位だったとは人の記憶はいいかげんなものです。しかし、現在でもコンサートを開催しお元気な様子、しばらくシングルの発売はないようですが、昭和の人々が元気なのは力を貰えます。さて、次はどんな歌姫か・・・楽しみに待たせて頂きます。
St.nobuさん,,, こんばんは~^^
今日は 窓を開けていると 目には見えねど^^~…涼しい空気が
すぅ~っと部屋に入り込んで来て、とても心地よく 御用を済ませることが
できました^^ …そして夕餉の支度前のひと時、昨晩丑三つ時^^とは異なり
PCを前に 椅子に掛けたスタイルで…こころいっぱい… nobuさんの歌声を
浸透させながら^^~ 聴かせていただきました^^
「昭和の歌姫100人を歌う」No,059は…石川ひとみさん。
わぁ~ もう59人目だぁ,,,と、胸には 熱い想いが走ります^^~
nobuさんが歌って下さった4曲の中で 知っていたのは “ まちぶせ “ だけ
だったのですが^^; ;… 初めて聴かせていただいた三曲中の “ 三枚の写真 “ は、
聴き進める歌詞のひとつひとつに 勢い時空を超えて佇んでいる気持ちが^^~
十代の少女となって!?… " 今、その時 " のように^^~…反応いたします^^(笑)
恐るべし “ 永遠の乙女^^!! “ … “ 妄想の達人^^!! “ でございましょ^^??
吹奏楽部でクラリネットを担当していて…長椅子に座っての練習の時、
いつも無理矢理 私の隣に座る…好きじゃない男の子 がおりましてね^^; ,,,
16の時 18だった 文武両道の 大好きだった”先輩”^^が 見兼ねて、
「妬くな 妬くな~!!」と間を割って私にピッタリ座ってくれて…^^hahaaa~;
とっても具体的な “ 面影^^~ “ が、 nobuさんの優しい歌声に重なって^^
ずぅ~~っと私を包んでくれましたよ〜っとぉ!!…^^(笑)
nobuさんにもきっとございますよね~^^!? … 16の時 18だった “ あの人 “の
想い出^^…。 nobuさんの澄んだ歌声を聴かせていただきながら、
もし、先輩^^が ” 歌 “ を歌ってくれたとしたら…
どんな歌を歌ってくれたかな~~,,,と、
自由すぎる妄想は 広がるばかりでございます^^(笑)
歌が上手な名古屋発の歌姫は ”病い” とも 闘っておられたこと…
初めて知りました。
人が生きて行く道筋には それぞれに、ほんとうに 様々な事がございますね。
nobuさんが審査員特別賞^^をいただいた
TVの のど自慢番組 …“ どんぐり音楽会 “ … 観たかったなぁ~^^~
秋の気配も 本物だよね~…と、信じても良さそう~~!?な風情…,,,
ようやっと感じられるようになってまいりましが…
重ねての甚大な被害をこうむっている被災地に想いを馳せますと
間を置かず 次々に近づいて来る台風;;; … 油断できませんよね^^;
nobuさんやぁ~~い^^ ,,, 本日もたっぷり!! と … “ 嬉しい歌時間^^♪ “…
頂きました〜^^
どうもありがとうございました^^🙋♀
…(Mayu)^^~
彼岸の頃から急に秋めいてきて、やっと一息という感じです。
石川ひとみさんもよく耳にしました。今回取り上げてくれた曲意外にも、NHKで一般の人が作った曲をプロの歌手が歌うという番組でたまたま目にした「パープルミステリー」やちょっと大人っぽい歌詞の「秋が燃える」、軽快な曲調の「夢番地一丁目」などが印象に残っています。歌唱力もあって、もっと評価されてもいいと思う歌い手さんですね。
季節の変わり目、体調等崩さぬように。次も楽しみにしています。
ふみ
Təşəkkürlər🙏