日本人初・世界的オペラ歌手・三浦環さんの人生。
「蝶々夫人」(マダム・バタフライ)の2000回公演は
世界的にも有名です。彼女の人生と古関裕而さんとの関りをご紹介します。この動画は「エール」が好きな人、
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音源:youtube Audio Library
挿入動画:【Pixabay】
挿入画像:【photoAC】【Pixabay】【pexels】
#エール #双浦環 #柴咲コウ
20 comments
ま
環さん、短すぎる人生ですね!
今なら、もっと生きられ貢献されたでしょうね!
明治維新から17年後に、このような歌の天性を持った人物が生まれていたのですね。
困難に直面した時に運命を受け入れつつ、天命に従われた潔さも素晴らしい生き方だと思いました。
よみのエラーですよね?じゅうちん ですね!ちょうちんときこえました。
環さんの様な素晴らしい歌手はもう出ないでしょうね。
昭和一桁生まれの私の聞かされた子守唄の一つは、三浦環の歌う、”君よ知るや南の国。。。。”と言うオペラまたはオペレッタ”の歌の一つだった。 子供心に綺麗な、しかしちょっと悲しみ、寂しさのこもった歌。現代でも時々歌われる様だが。。。。
三浦環さん 激動の人生ですが 決して歌から離れかったのですね‼️
人の一生が語られる時よく「波乱万丈の人生」「世界を股に掛けての活躍」「不世出の天才」などと表現されますが三浦環さんはそれプラス「天は二物を与えた(歌に対する天賦の才・天性に美貌)」を持ち備えた凄い人だと知り感動しました。結婚と離婚,戦争に翻弄された歌手人生。すべてを乗り越え正に世界を股に掛けてオペラ公演2000回以上,日本での活躍,多くの生徒さんの育成など数えられないくらいの業績。三浦環さんのような声楽家がおられたことは日本人としての誇りです。今ならきっとギネスブックに登録されていたと思います。自転車美人。颯爽と自転車に跨がる姿私も見てみたかったです。美人薄命62歳の若さで世を去られたようですが三浦環さんの62歳はのちのオペラ歌手を目指す若い人達の憧れであり目標として長く何十年何百年と語り継がれる62年間だったと思います。「エール」で双浦環さんを演じられる柴咲コウさん。正に現在の三浦環さんのように感じます。「船頭可愛や」張りのある高音で素晴らしかったです。丁寧な分かりやすく解説ありがとうございました。
柴咲コウさんの苗字は、「しばざき」ではなく「しばさき」だと思います。トヨタとトヨダ、ヤスタとヤスダなど日本の苗字は読み方が複数存在するものもあるので、気を付けたほうがよいかと・・・ どうしても違和感があったのでご指摘させていただきました。
さ
立派に活躍されたかたなんですねぇ
これより先の朝ドラがたまきさんのおいたち、みちすじなどわかりやすくなり、これよりさきがまたまたたのしみです、
環さんのお墓が、静岡県牧之原市(旧相良町大江の速水家のお寺)に確かあり、印象深く思ったものでした。お話を伺いながら、歴史を感じないわけにいきません。良い話をありがとう。南無阿弥陀仏
重鎮は「ちょうちん」ではなく「じゅうちん」と読みますよ。
「名を残す人物から師事を仰いでいます」ではなく「名を残す人物に師事しました」ですよね。人間関係及び文章が混乱しています
三浦環さんは 素晴らしい
三浦環さんの一生がよくわかりました。国内に活動の舞台を移して歌謡曲に取り組んだのは、51歳を過ぎてからと知り驚きました。全盛期はとうに過ぎている筈なのに、SP盤で聞く「船頭可愛や」の高音はきれいに伸びています。たいていのソプラノ歌手は、50歳を過ぎると高音の発声が苦しくなるものです。今更ながら、ほんとうに素晴らしい歌手だったのですね。
ドラマの設定では柴咲コウさんの年齢が若いですが、気品が有って歌も上手なのでびっくりしました。 柴咲コウさんは素晴らしい俳優さんですね。 三浦環さんも天国で喜んでおられるでしょう。
6
とてもわかりやすい解説でした。今月出版された田辺久之による『考証 三浦環』もとても参考になると思います。お時間があれば是非。
私は三浦環の従姉妹のシズの孫にあたる者ですが、叔父さんから聞いた話ですが戦後アメリカ軍が慰問に来てほしいと屋根のないジープで
三浦環を迎えに来たが(屋根のある車で来てください)と追い返しアメリカ軍もVIP用自動車で出直したと聞きました、戦争に負けてもプライド
は捨てなかったのですね。