1970年代 歌謡曲黄金時代のスーパースター、“ジュリー“沢田研二と山口百恵。
今回はプロデューサー木崎賢治さんに直接伺った裏話も交えて、阿久悠、宇崎竜童・阿木燿子夫妻ら2人を支えたクリエイター達の、1977年のレコード大賞を巡る熱い戦い模様を解析します。
【チャプター】
00:00:00 オープニング
00:01:12 ソロシンガー“ジュリー“誕生
00:02:55 「勝手にしやがれ」誕生秘話
00:04:54 山口百恵 “青い春“路線
00:07:30 作詞王 阿久悠 時代を動かす言葉
00:08:13 宇崎竜童 “港のヨーコ”の衝撃
00:09:56 1977年、運命のレコード大賞
00:11:23 プレイバックPart2─翌年のアンサーソング
00:12:22 阿久悠と山口百恵 すれ違いの運命
00:15:02 そして伝説へ
▼【男のロマンBlog】
「ジュリー 沢田研二」伝説〜シングル ヒストリー② 1977-1985】
http://hobby.red-cm.com/?p=2451
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」の衝撃〜1975 ダウンタウン・ブギウギ・バンドの異色の傑作
http://hobby.red-cm.com/?p=10199
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24 comments
ただ一言面白い!!!
この時代、自分はまだ幼くてヒット曲は覚えていても背景とかは全然分からず、こうして追うと凄いドラマを感じました。山口百恵はレコード大賞で大賞を受賞した事が無いんですね。意外です。
今年の曲の頂点としてのレコード大賞でなくなって久しい。どこかで戦略を誤ったんだろうなぁ
レコード大賞が本当に輝いていた時代…。今こそ、”輝けレコード大賞” !
山口百恵ってレコ大獲得せずに引退したのか
この1977年のレコード大賞を争った2人は後に共通の親友、アン・ルイスに作詞山口百恵、作曲沢田研二で「ラ・セゾン」を提供します。
本当にこの頃のレコ大は熱いですね
自分がレコ大見るようになったころにはもう誰が取るか分かってる出来レース感がありましたから・・・
今じゃ日にち変わったから無くなったけど昔はレコ大からの紅白という梯子してこそスーパースターって感じでしたね
噂ではTBSからNHKまで信号を操作して早く到着させてるとか聞きましたが流石に無いですよねw
確かに2人はスーパースターでしたね。でも俺の中では男のロマンLIVE!さんがスーパースターだよ! また大好きな70年代〜80年代のプロレス話しをお願いします!
小学生の僕から見たジュリーは「陽」本物のスーパースター。百恵ちゃんは笑っていても常に「陰」が付きまとう人。どちらが凄いとかではない。どちらも凄い。
小川哲哉のアナウンスが懐かしいです
阿久悠さんの語る、山口百恵の姿に詩的な美学と
結びつかなかった悔いとか感じてアツいですね
個人的には「勝手にしやがれ」のレコード大賞は
何でピンクレディーちゃうねんってずっと思って
TVの前でブチ切れた記憶が(笑)
素敵に纏まった動画有難う御座います
74年生まれの私にとってのジュリーは、小学校低学年の時に、辛うじてベストテンに3週くらいランクインする歌手というのがリアルタイムの思い出だったので、1978年の紅白で山口百恵とトリを務めたり、日本歌謡界に様々な革命を起こしたアーティストだった事は後追いで知りました。
巷にUPされているジュリーの過去映像を見ても、ど素人の私でも、信じられないくらいの声の艶と声量と安定感に驚かされます。あと根拠は無いですが、使用しているマイクがめっちゃ高そうな気がしました。
レコ大が権威を持っていた頃は、表も裏もバチバチで面白いなあ。
「青い性」って、今見ると吐き気がするな。そういう意味で凄い時代だわ。それにしても、これだけ濃密な芸能活動をして引退したのが21歳って、今の感覚からしたら信じられないわ。
プレイバックPART2とLOVE抱きしめたいでトリを務めたのも良い時代。
当時ポップス史上初でしたよね。
二人共に当時から個性と生き様が話題になっていた記憶があります。妖艶で中性的で退廃的で派手さ演じるジュリーと若いのに物憂げで艶っぽい百恵さんの二人は歌手仲間からも一目置かれていたように見えました。ボロボロの老人になってもステージに立ち続けるジュリーと21歳で引退してから約半世紀。公の場に一切出ない百恵さん。それぞれの生き様を貫いていると思います。
大昔のレコード大賞って威厳がありましたよね。
キーヨが獲った時にVサインで泣かない受賞者ってのも良かったけど
印象に残ってるのは土壇場でルミちゃんをひっくり返したちあきなおみですかね。
強気に見えてどこか儚さのある百恵とダメでダサい男を艶っぽくカッコ良く魅せるジュリー。まだまだ時代が「男はこうあるべき、女はこうでないといけない」思想が強かったが、それをぶち壊した所が二人の歌の世界にありますね。大スターの歌には名作詞家作曲家あり。それは以前の動画にあった聖子と松本隆、ユーミンとの融合にも続きますね。
阿久悠氏がここまで山口百恵を賞讚されていたとは知らなかったです🎤
日本レコード大賞、よくぞ77年を取り上げて下さいました!
ジュリーとも百恵ちゃんとも関係がない話で恐縮ですが、
この年、『愛のメモリー』にどハマリしていた小学生の私は、
この曲が上位5曲に与えられる「歌唱賞」に選ばれなかった事に心底腹を立て、
「わるいおとながズルした」と子供心に怒りを覚えました。
『勝手にしやがれ』の大賞に異論はありませんし、他の曲も名曲揃いではあるのですが、
準大賞的な扱いの「最優秀歌唱賞」は『愛のメモリー』が相応しかったと今でも執念深く思ってます。
阿久悠ももちろん プロ作詞家作曲家にもっとスポットライトしてほしい
子供向け番組でも気を抜かない
大御所作詞家作曲家の作品を特集してほしいです
おもいっきり昭和ですねw
煌びやかに見えた裏側こそ最大限の魅惑を放っている。
こういうところにスポットを当てて、動画にするテルさんにはいつも感心させられます。応援しています。
1977年当時、10歳の男の子でした。「勝手にしやがれ」を歌う沢田研二のマネを普通にやってましたし、たまにカラオケ行った時は今も歌っちゃったりしてます。山口百恵は歳を重ねてからは凄いって思うようになりましたけど、当時はほとんど興味がなくて、わかりやすいピンクレディが好きでしたね。当時10歳だった私が知らない裏話的な内容を盛り込んだ今回の動画は、楽しく見させてもらいました。
75年生まれの僕にとり、リアルタイムでは知らない時代ですが当時の熱量が伝わってきました。正直今年の紅白の出場者一覧を見てもチンプンカンプンで😅だからこそ新鮮に感じました。
まさにTERUさんならではの魅力が詰まった動画を堪能させていただきました😊
無冠の女王山口百恵、FNS歌謡祭でやっとグランプリの松田聖子、
ふたりが作ったアイドルグランプリロードをやっと花咲かせたのは中森明菜。
(個人的な感想です)
山口百恵さんはどこか大和武士のような潔さがあり、無冠が逆に輝く稀有な歌い手でした。
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