JINGI・愛してもらいます 中山美穂


11 comments
  1. バンドが後ろに付いてくれて、いいね。
    ダンサーさんも付いてくれて、いいね。

    中山さん、かわいいな。
    美人さんだなぁ。

  2. そうか。この時代の高校野球は、それこそ完全に興行だった。プロのアイドルと同じように、毎回毎回雑誌やテレビで事前に特集されていた。

    小枝監督率いる拓大は、もちろん春も優勝候補だったものの、2回戦で旋風と呼ばれた新湊に敗退。ちょうど中山美穂の「色・ホワイトブレンド」が大ヒットし、「毎度おさわがせしますパート2」が最終回になり、岡田有希子が永遠に旅立つ直前のこと。中山美穂と「毎度おさわがせ」で共演し、まさにデビュー間もないころの最初の友達だった堀江しのぶも、無論まだ病に侵されておらず、とにかく元気だった。

    そしてこの曲と映画「ビーバップ」が大ヒットした夏もまた、拓大は優勝候補として甲子園に帰ってきた。呪い、絶対に勝てない、と言われていた49番くじを引いてしまったものの、終盤打線が援護してくれたことで、木村投手は完投シャットアウトで初戦にあたる2回戦を突破。チームは甲子園史上、初めて49番くじの鬼門をこじ開ける。しかし次の3回戦で、残念ながら敗退。

    結局優勝は、本橋投手擁する天理。肘の激痛、故障を抱えたままでの登板だった。当時控えの緑川投手が、最大限エース本橋投手をサポートする体制をとってはいたとはいえ、平成の中盤以降ではあり得ない、あってはならない投手起用だった。

    こうして振り返ると、時代も価値観も今とは全く違っていた。あっという間とはいえ、あれから随分時が流れたんだなあ。

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