@「ロビンソン」とは誰か、スピッツが描いた日本語ポップスの桃源郷
1995年の初夏、まだインターネットも携帯電話も一般に普及しきっていなかった時代に、スピッツの「ロビンソン」はひっそりと、けれど確かに、多くの人々の心に根を下ろした。アルバム『ハチミツ』の一曲として世に出たこの楽曲は、もはや単なるヒットソングではない。日本語ロックの詩的表現とポップスの洗練が高次で融合した、まさに奇跡のような一篇である。
スピッツというバンドは、「静かな革命家」である。派手な演出も過激な主張もない。しかし、彼らの音楽には、心の深いところを優しく撫でる力がある。「ロビンソン」もまた、そんなスピッツの美学を極限まで凝縮した作品だ。「新しい季節は なぜかせつない日々で」この冒頭の一節だけで、聴き手の記憶のどこかにしまい込まれた風景が、ふっと立ち上がってくる。
北中正和がかつて「湿り気を帯びた重さ」と呼んだ、日本の音楽に特有の情緒。それは「ロビンソン」にも確かに宿っている。乾いた風ではない。どこか水を含んだ、しかし重苦しくない、風と水のあいだをたゆたうような情感がこの曲にはある。それが、草野マサムネの透明な歌声と三輪テツヤのアルペジオによって、まるで夢の中にいるような浮遊感として表出する。
興味深いのは、「ロビンソン」という語が歌詞の中に一度も登場しないことだ。では、「ロビンソン」とは何か。それは名前ではなく、記号でも象徴でもない。むしろ、「君」と「僕」が行こうとする“旅”そのもの、あるいはその旅の中で見出される「どこにもない場所」の名前なのかもしれない。「遠くまで 行こう 限りない夢を この両手に掴んで」このフレーズに込められた希求は、きわめて普遍的だが、同時に日本語でしか表現しえない繊細さを持っている。
「青い空に ドキドキするのは 風のせいかもしれない」この一節に至っては、もはや詩である。どこにも難しい言葉は使われていない。しかし、ここには明らかに、視覚と聴覚と触覚が混じり合った情景がある。それを草野の声が運ぶとき、リスナーは自分の記憶の中の「青空」に再会する。そしてその「青空」は、誰にとっても違う色をしている。
北中は、日本語ロックの進化について語るとき、松本隆やはっぴいえんどに代表される「日本語で歌うということの葛藤と美しさ」に幾度となく言及してきた。「ロビンソン」は、そうした系譜の延長線上にある楽曲だ。「君と出会った 奇跡が この胸にあふれてる」この直接的で飾り気のない表現が、なぜこれほどまでに響くのか。それは、日本語が持つ感情の濃淡を、過不足なくメロディに乗せたからにほかならない。
そしてまた、この曲のアレンジには、90年代の日本の音楽プロダクションが到達したひとつの完成形を見ることができる。ギターの音色、ベースの包み込むような低音、ドラムの優しいタッチすべてが歌詞とメロディを引き立てるために存在している。バンドとしての一体感がありながら、それぞれのパートが独立した声を持っているのだ。このサウンドのバランスは、J-POPにおけるひとつの金字塔と言っていい。
「誰も触われない 二人だけの国」この歌詞には、恋愛という主題を越えた、ある種のユートピアがある。現実では決してたどり着けない場所。しかし、音楽の中ではその場所が確かに存在する。「ロビンソン」は、そんな“場所”の名を借りて、私たちの心に地図にない道を開いてくれるのだ。
最後に思い出されるのは、「この道を行けばどうなるものか、行けばわかるさ」という、古い禅者の言葉である。「ロビンソン」が提示する旅路は、その答えのない問いのようなものだ。曲が終わっても、心の中ではその余韻がずっと続いている。
スピッツの音楽は、「いま、ここ」だけにとどまらず、どこか遠くへと聴き手を連れていく。「ロビンソン」はその旅の出発点であり、同時に永遠の終着点なのかもしれない。だからこそ、この曲は時代を超えて愛され続ける。何度聴いても、「また会えるよ 遠い昔から 知ってたような」そんな気持ちにさせてくれる、奇跡のような楽曲なのである。
「ロビンソン」を主題歌の映画するなら・・・
『ロビンソン』
主演キャスト案(2025年版):
· 遥(主人公の少年):柊木陽太
· ソラ(不思議な少女):原菜乃華
· 遥の母(回想シーン含む):麻生久美子
· 兄の幻影:磯村勇斗
· 老いた駅長(過去と未来を繋ぐ存在):リリー・フランキー
舞台は、少しだけ未来の日本。
都会と田舎の境目にある寂れた町に住む17歳の少年・遥(はるか)は、ある日、道端で不思議な少女・ソラと出会う。彼女は「過去から来た」と言い、言葉の端々に昭和の記憶や感性が混じっている。彼女の正体を探るうちに、遥は“誰にも触れられない二人だけの国”の存在を信じ始める。
ふたりは地図にない場所を目指して旅に出る。
その旅の中で、廃線になったローカル線、忘れられたトンネル、無人の遊園地、空っぽの映画館――さまざまな「過去の風景」を巡る。そこでふたりが拾っていくのは、亡くなった遥の兄が遺したポラロイド写真、ソラの記憶の断片、そしてふたりの間に生まれ始める、言葉にできない感情。
物語の終盤、ソラは実は未来の「意識アーカイブ」から実体化した存在であることが明かされる。けれど、それはSF的な衝撃というより、「夢かもしれないけれど、確かにあった季節」として描かれる。
やがてソラは姿を消し、遥だけが「ロビンソン」と名づけた場所にたどり着く。そこは、ふたりが絵に描いて想像していた風景そのもの。ラスト、遥はその場所で独り、空を見上げてつぶやく――
「また会えるよ。遠い昔から知ってたような気がするから。」
そこに重なるのは、スピッツ「ロビンソン」のイントロ。風の音、青い空、少年の眼差し。
主題歌の使い方
· 冒頭でインスト版(ギターアルペジオ)が静かに流れる。
· 中盤、ふたりが「地図にない場所」を目指して歩き始めるときに、サビだけアカペラで口ずさむ。
· クライマックス〜エンドロールでフル尺。サビに入る瞬間で映像が静止し、そこから夜空に星が流れる。
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作成者さんホントに、ありがとうございます。m(_ _)m
4 comments
スピッツ「ロビンソン」とは誰か、スピッツが描いた日本語ポップスの桃源郷
🙌🏻
ロビンソンは30年前の4月5日に
シングル曲としてリリースされました
とてもいい曲です